はじめに

みなさんは学校で歴史の授業はお好きでしたか? 私は正直、苦手でした。なにしろ年号とか、人名とか、出来事の名前とか、覚えることが山のようにあって、暗記が面倒な私はいつも赤点ばかり。なのに今、歴史資料のデータベースを作る会社に勤めているのですから、因果なものです。

ですが、そんな私も、この会社でいろいろな歴史資料と向き合うようになってから、歴史に対する苦手意識がだいぶなくなりました。その理由のひとつが、資料そのものの面白さです。私の会社、Galeが出している歴史資料のデータベースの中身は「一次資料」と言って、私が苦手としていた歴史の教科書とはだいぶ違うものです。何が違うのかって?簡単にご説明しましょう。

 

一次資料とは

ここでいう「一次資料」とは、いわば歴史の生の記録です。対象となる出来事と同じ時期に書かれた新聞記事、本、音声記録、写真、日記、絵画、映像、政府文書などの資料を一般に「一次資料」と言います。英語だと「Primary Sources」(プライマリー・ソーセズ)と言います。

 

一次資料の例(政府文書)

それだけだと、ちょっとわかりにくいかもしれないので、具体例をお見せしましょう。たとえば、太平洋戦争の時にアメリカで日系アメリカ人が「敵性外国人」として強制収容所に送り込まれた、という話はおききになったことがあるかもしれません。下記にお見せするのはその一次資料の例です。

フランク・ノックスからフランクリン・ルーズベルト大統領への報告書(1941年12月14日)

フランク・ノックスからフランクリン・ルーズベルト大統領への報告書(19411214日)
PSF: Departmental File Navy July-December 1941. July 1941 - December 1941. MS Japanese American Internment: Records of the Franklin D. Roosevelt Library: Internment of Japanese Americans: Records of the Franklin D. Roosevelt Library. Franklin D. Roosevelt Presidential Library. Archives Unbound, link.gale.com/apps/doc/SC5113839813/GDSC?u=asiademo&sid=bookmark-GDSC&xid=1a66894d&pg=12.

これはアメリカ海軍長官のフランク・ノックス(Frank Knox)という人が、1941年12月の真珠湾攻撃についてフランクリン・ルーズベルト大統領に報告している文書です。アメリカ政府内部のやりとりを記録したこうした文書のことを「政府文書」とも言います。この資料はルーズベルト大統領図書館所蔵の日系人強制収容に関係する文書集に含まれていたものです。

ちょっと一部を拡大しますと、

フランク・ノックスからフランクリン・ルーズベルト大統領への報告書(1941年12月14日)部分拡大

同上、部分拡大

「オアフ島において、非常に多数の在留日本人がいたことで、あらゆるアメリカ領のうちでも最も有能な第五列部隊(fifth column, 訳注:スパイ・内通者のこと)が敵の手中にあったということを強調しすぎることはありません」と書かれています。(ちなみに、文中で緑色にハイライトされているのは資料を探すのに用いた検索語です。)

また、文書の先頭ページには「1214日午後10時にFKより受け取った」とルーズベルトの手書きメモがあります。日系人強制収容の大統領令が出されたのはこの翌年、19422月ですので、この政府文書はその背景を理解するうえで重要な同時代の資料、つまり一次資料のひとつであるといってよいでしょう。

フランク・ノックスからフランクリン・ルーズベルト大統領への報告書(1941年12月14日)部分拡大

同上、報告書先頭ページの部分拡大

いかにも昔のタイプライターで書かれた感じの文書で、ところどころに打ち間違いや、かすれて読みづらいところがあったり、書き込みがあったり、当人たちにしかわからない部分があったりと、決して読みやすいものではありませんが、そうしたことも含めて、いかにも歴史の「生」の記録という感じがしますね。

 

一次資料の例(新聞)

もう一つ、別の例を挙げましょうか。こちらは新聞です。といっても、ただの新聞ではなく、日系人の収容所内で発行された新聞、アーカンソー州にあったローワー収容所で出された『The Rohwer Outpost』という新聞の19441118日号の中の1ページです。これは、アメリカ議会図書館の所蔵する日系アメリカ人強制収容所で発行された新聞のコレクションから見つけたものです。

『The Rohwer Outpost』1944年11月18日号より

『The Rohwer Outpost』1944年11月18日号より
The Rohwer Outpost. Vol. V, No. 1-50, June 28, 1944 - December 16, 1944. N.p., June 28 - December 16, 1944. Archives Unbound, link.gale.com/apps/doc/SC5103672280/GDSC?u=asiademo&sid=bookmark-GDSC&xid=1dda5aaf&pg=181.

 

こうして紙面を眺めると、収容所内でも運動会や試合のようなスポーツイベントについての記事があったり、漫画が描かれていたりして、外に出る自由が奪われている中にも共同体としてさまざまな娯楽をもっていたことが垣間見えます。先ほどの海軍長官から大統領への書簡のような政権トップレベルの政府文書とは異なり、こちらは収容された側、その多くが無名の日系アメリカ人たちによってつくられた文献ですが、これも同時代の立派な一次資料であると言えます。

歴史の研究者は、こうした一次資料を手がかりに、何がどうして、どのように起こったのか、またそれにどのような意義があったのかを丁寧に考察していくわけです。

 

二次資料とは

一次資料に対する用語で「二次資料」というのもあります。英語だと「Secondary Sources」(セコンダリー・ソーセズ)。これは何かというと、対象となる出来事よりももっと後になって作られた資料のことです。歴史の教科書がまさにそれですし、百科事典の記述、学者が書いた論文など、一次資料などをもとにして、いろいろな考察を加えて書かれたもののことを言います。

 

二次資料の例(エッセイ)

Galeはこうした二次資料も出版しています。例えば、これはGale eBooksに含まれる『歴史の争点(History in Dispute)』という書籍の中の「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?(Japanese Internment: Was the Internment of Japanese Americans Justified During World War II?)」という記事です。(ちなみに、文中で赤色にハイライトされているのは資料を探すのに用いた検索語です。)

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」
O’Brien, Patric, and A. Bowdoin Van Riper. "Japanese Internment: Was the Internment of Japanese Americans Justified During World War II?" History in Dispute, edited by Robert J. Allison, vol. 3: American Social and Political Movements, 1900-1945: Pursuit of Progress, St. James Press, 2000, pp. 102-109. Gale eBooks, link.gale.com/apps/doc/CX2876300021/GVRL?u=asiademo&sid=bookmark-GVRL&xid=f35bb43c.

 

記事の年代は2000年、著者はパトリック・オブライエン(Patric O’Brien)さんとA・ボードン・ヴァン・ライパー(A. Bowdoin Van Riper)さん、編者はロバート・J・アリソン(Robert J. Allison)さんで、いずれもアメリカの大学の先生です。日系人の強制収容という実際の出来事が1940年代ですから、(当たり前ですが)ずいぶん後に書かれたものということになりです。

 

著者により解釈が異なる二次資料

この本のちょっと面白いところは、歴史家の評価が分かれるような出来事について、異なる立場からの論点を併記しているところです。例えば、パトリック・オブライエンさんのエッセイは、日系人の強制収容は国家安全保障のために必要な措置だった、いう立場から書かれています。

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」より

同上より、パトリック・オブライエン「視点:はい、日系アメリカ人の収容は国家安全保障のため必要でした。なぜならその一部には背信の疑いがあったから」冒頭部分

これに対して、A・ボードン・ヴァン・ライパーさんのエッセイは、日系人の強制収容は不当なもので正当化できない、という真逆な立場から書かかれています。

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」より

同上より、A・ボードン・ヴァン・ライパー「視点:いいえ、日系アメリカ人の収容は自由のための戦争を遂行するというアメリカの主張の面皮を剥ぐものでした。」冒頭部分

このように、歴史的な出来事から年月が経ったからといって、歴史家の意見がひとつにまとまるというものではありません。二次資料だから客観的・中立的である、という事ももちろん言えません。誰も歴史を自分の目で追体験することはできませんし、残された一次資料はいずれも歴史の断片ですから、それをどのような立場に立って解釈し、いかに切り取るかによって、結論はいろいろと変わってきます。

 

二次資料は一次資料に基づいて書かれる

しかし、二次資料を書くためには、一次資料にしっかり依拠しなくてはならないことは間違いありません。例えば、強制収容が不当だったと論じるA・ボードン・ヴァン・ライパーさんは以下のくだりで、「フランク・ノックス海軍長官が真珠湾攻撃の一週間後に、現地日本人の〈第五列部隊〉による活動が攻撃の成功に不可欠だったと述べている」と書いていますが、これはおそらく先ほどの一次資料に依拠したものでしょう。

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」より

同上より、A・ボードン・ヴァン・ライパー「視点:いいえ、日系アメリカ人の収容は自由のための戦争を遂行するというアメリカの主張の面皮を剥ぐものでした。」中間部分

ただ、このヴァン・ライパーさんの主張が妥当かどうか、ここで言及されている一次資料がそれをちゃんと裏付けているものかどうかを確かめるためには、もとの資料をちゃんと見て確認する必要があるわけです。

 

二次資料には参考文献一覧がある

二次資料の多くには、さらに理解を深めるための参考文献一覧が付いていることも魅力のひとつです。例えば、上記の記事の末尾にもこのように様々な文献が挙げられており、これらをたどっていけば、さらにいろいろな論点や見方を吟味することができるはずです。

「日系人の強制収容:第二次大戦中の日系アメリカ人の強制収容には正当な理由があったか?」より

同上より、参考文献一覧

 

まとめ

ここまで説明したことを簡単にまとめますと、

  • 歴史研究に使う資料には大きく分けて、「一次資料」と「二次資料」の2種類がある
  • 「一次資料」は扱う出来事と同じ時代に作られた「生」の資料である
    • 一次資料には、政治家のようなエライ人たちが作ったものから、名もない庶民が作ったものまで、様々なものがある
    • 歴史家は一次資料を探し、丹念に読み解き、解釈することで歴史的な出来事について考察する
  • 「二次資料」は出来事よりも後の時代につくられた資料である
    • 二次資料は、一次資料をもとにしながら、様々な考察を加えて作られる
    • 歴史家によって用いる一次資料や解釈の仕方が異なることがあるため、二次資料の結論は必ずしも一致しない
    • 二次資料には一般に参考文献一覧があり、これにより他の文献を見つけることができる

というようなことになるかと思います。

どうでしょう、一次資料と二次資料の違いまでは、これで何となくお分かりいただけましたか?

では、こうした一次資料はどのように探し出し、どう活用すればよいのでしょうか。次のコラムでは一次資料を探すうえで役に立つ、デジタルアーカイブというものの性質や効果的な活用法について、もっともっと掘り下げてみたいと思います。

  著者について

森澤正樹の顔写真森澤 正樹(もりさわ まさき)

Gale商品部門シニア・プロダクト・マネージャー。国内代理店勤務を経て2006年入社、日本を含むアジア地域の商品情報管理やマーケティングを担当する。趣味は音楽鑑賞と読書のはずだが、子育てに追われ前者は放棄、後者はもっぱら仕事関係の調べ事に取られており、いつか来るはずの老後に期待を寄せる。