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※一部、性的に露骨な表現や画像が含まれます。あらかじめご了承ください。

図書館の蔵書の一部を指すのに「Enfer」(地獄)という言葉を選ぶのは容易ならぬことである。これは、もともとは1652年にパリのフイヤン女子修道会において異端書、つまりローマ・カトリック教会の教義に拠らない書物を区別するために用いられていた語だった。

フランス王室図書館においては1830年代に「公衆道徳に反する」(contraires aux bonnes mœurs)とされた書物に《地獄》という分類が与えられた。文字通り書物を《地獄》に追いやるこの分類を決めたのは当時の権力者たる七月王政側ではなく、より多くの利用者に門戸を開きつつあった図書館の側だった。

大英図書館の「プライベート・ケース」とは異なり、《地獄》は閉じられたコレクションではない。現在では他の分類が使われていることもあり、性的・ポルノグラフィックな出版物のうち限定されたものが加えられるのみではあるが、《地獄》コレクションは今でも増え続けている。2020年時点で約2000冊の本が《地獄》に含まれている。

 

《地獄》以前

1750年の王室図書館所蔵版本目録(Catalogue des livres imprimés de la Bibliothèque du Roy)第2巻には文学作品のみが掲載されていたが、その小説の部の末尾にふしだらな書物を掲載した小さな一部分があり、そこには34点の作品が掲載されていた。うち3分の1は王室図書館が1733年にその旧蔵書を丸ごと買い取った愛書家・蒐書家ジャン=ピエール・アンベール・シャトル・ド・カンジェ(Jean-Pierre Imbert Châtre de Cangé, 1680- 1746)からのものだった。そこに含まれる『アプリウス王物語』(Histoire du prince Apprius…, Enfer 233)は摂政に対する諷刺文であり、恋愛や戦争についての全く無害な小説として読むこともできれば、極めて不道徳なテクストとしても読むこともでき、後者の視点から読むと登場人物の名前が指す卑猥な対象物がおのずとわかるというものだ。1728年に出版された同書は、検閲逃れのために著者や印刷者の名前を載せず、出版地も偽る、典型的な不道徳本である。

『アプリウス王物語』Beauchamps, Pierre-François Godard de. Histoire du prince Apprius, extraite des Fastes du Monde, depuis sa création. Manuscrit persan trouvé dans la bibliothèque de Schah-Hussain, roi de Perse, détrôné par Mamouth, en 1722. Traduction françoise, par Messire Esprit, gentilhomme provençal, servant dans les troupes de Perse. N.p., 1729. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GGSYAA856569424/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=8d46f1d8&pg=7.

 

さらに時が下り、フランス革命の時代になると、王室図書館は聖職者、亡命者、その他ギロチンの露と消えた者たちから押収された書物から蔵書を増やす機会を得た。そうした押収書籍は1790年以降、保管所に置かれていたが、王室図書館はそれらにアクセスすることができた。

こうして押収された書物の中にはボッカチオの『デカメロン』(Enfer 249)も含まれていた。116点の挿絵のうち12点に卑猥なものがあったからである。この12枚の挿絵を含まない『デカメロン』については、本文はそこまで煽情的とは考えられなかったため、そのような烙印を押されることはなかった。

1836年になると、印刷本部門司書のヨーゼフ・ファン・プラート(Joseph Van Praet)が1795年以降に隔離した貴重書がすべて一か所に集められ、その中には猥褻な作品も含まれていた。1844年からは、もとの分類番号の横の欄外に「Enfer」(地獄)の語が記されるようになった。そこには150冊の本が含まれていた。

 

《地獄》の性格

それ以降、印刷本部門の貴重書(Réserve)において、《地獄》が、わいせつな作品、道徳の咎めを受けた作品に付せられる分類項目となったのである。他の図書館とは異なり、フランス国立図書館の場合、政治的・宗教的な理由のみで書物が《地獄》に分類されることはなかった。《地獄》に分類された作品のほとんどは空想的作品、具体的には、性が大きな役割を演じる小説作品であり、そのためにご法度となり、咎められ、禁忌とされたのである。

《地獄》は比較的不統一なコレクションである。17世紀から20世紀の性愛文学の古典とされる年代物の貴重な出版物と並んで、重要度では劣る復刻版やパンフレットが含まれている。《地獄》が創設される以前から所蔵されていた図書館の最も古い蔵書にあたるものは16~17世紀までさかのぼる。元娼婦とその女友達との会話から構成される有名な『ラジオメナンティ』(Ragionamenti de l’Arétin)の複数ある本の中には国王ルイ十四世の紋章入りのものもある(Enfer 221)。1530年ごろにアントニオ・ヴィニャーリ(Antonio Vignali)がアルスイッチョ・イントロナート(Arsiccio Intronato)名義で出版した『アルスイッチョ・イントロナートのラ・カッツァーリア』(La Cazzaria de lo Arsiccio Intronato)は著者と若い法学生との間の滑稽な男根談義という形式をとりながら、法学生に哲学の名のもとにあらゆる事象を、最も卑猥なものまでも含めて吟味するよう促す内容となっている(Enfer 566)。諷刺作家フェランアントニオチーノ(Ferrante Pallavicino)もしくは神学者・哲学者アントニオ・ロッコ(Antonio Rocco)のいずれかの作に帰せられる『学童アルチビアデス』(Alcibiade fanciullo a Scola, 1652年)はアルチビアデスとその教師との対話形式をとりながら、後者があらゆる強弁・詭弁を用いて少年愛を正当化し、教え子をその道に導こうとするものである(Enfer 469)。これらの作品の共通の特色は文体の対話形式と、挿絵の欠如である。なぜなら、言葉だけで十分に露骨であるから。

18世紀の最初の30年間、フランスにおいて性愛文学は独自のジャンルとして確立され、《地獄》には別名「哲学の書」(livres philosophiques)とも呼ばれたこれらリベルタン小説が多数加わった。20世紀に至るまで版を重ねた古典的作品の中には『カルトジオ会の守門 ドム・ブグル物語』(Histoire de Dom Bougre, portier des Chartreux, 1741)、『カルメル会修道院受付係』(La Tourière des carmélites, 1741-1750)、『哲学者テレーズ』(Thérèse philosophe, 1748)などが挙げられる。当時の唯物論哲学に影響を受けたこれらの作品の目的はただ一つ、修道院、全寮制学校、宮殿といった表向きには公共道徳を体現する集団を淫売宿のような放埓な場所に近づけることよって欲望と法悦を礼賛することだった。先行する作品と共通するのは、「外套の内側に」(sous le manteau)簡単に隠すことができる小さな判型で作られたことと、匿名で出版されたことである。出版地について言えば、パリではなく「ロンドン」と称したり(Félicia ou mes fredaines, Enfer 446-449)、「あらゆる場所で、どこでもない」(«partout et nulle part», La Nuit merveilleuse, Enfer 722)のように突拍子もないものであったり、あるいは以下のように淫靡なものであったりする:「我まぐわう番地、放出通り、(云々)」(«À j’enconne, rue des Déchargeurs, aux dépens de la Gourdan»(Mémoires de Suzon, Enfer 705)。18世紀には挿絵が登場し、テクストの手助けをするようになる。Amours des dieuxの続編のように、イタリア・ルネッサンスの図像学的伝統に影響をうけつつ、それらから離れ、物語の出来事に注釈をほどこすようになっていった。『ドム・ブグル物語』(Dom B…, portier des Chartreux, Enfer 326)や『哲学者テレーズ』(Thérèse philosophe, Enfer 402)に含まれる版画がそのよい例である。

『ドム・ブグル物語』Gervaise de Latouche, Jean-Charles. Histoire de dom B... portier des chartreux, écrite par lui-même. Avec figures. Chez Philotanus, [vers 1740-1741]. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GINYLE018468485/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=a566b74c&pg=1.

 

19世紀になると、主にベルギーに居を構える違法書籍商たちが17世紀、18世紀の性愛文学の復刻版や新たなテクストの出版を専門に手がけるようになる。1857年に6篇の「猥褻な」詩を含むボードレール『悪の華』(Baudelaire, Les Fleurs du mal)を出版したかどで有罪とされたオーギュスト・プーレ=マラシス(Auguste Poulet-Malassis)は、リベルタン作品の復刻への関心もあって1862年にベルギーに亡命している。彼が秘密裏に出版した作品の中にはS.P.Q.R.が卑猥な扉絵を彫ったルイ・ピンナロンヴェールの『セルフェス:悲劇=パロディ』(Serrefesse : tragédie-parodie par Louis Pine-à-l’envers, Enfer 486)がある。テクストはパリの控訴院で法曹の一員だったルイ・プロタ(Louis Protat)によるもので、猥褻作品を数多く手がけたフェリシアン・ロップス(Félicien Rops)による版画が添えられていた。

20世紀に入ると、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)、ピエール・ルイス(Pierre Louÿs)、ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)、ジャン・ジュネ(Jean Genet)など、世界観も作風も様々な作家による密かな作品が《地獄》に加わることになった。

 

《地獄》の発展

第二帝政時代には、ナポレオン三世がナポレオン一世時代の出版検閲体制を復活させたことから、《地獄》もかなり増えることとなった。1858年から1870年の帝室図書館長ジュール・タシュロー(Jules Taschereau)は、税関が押収した版画類、郵便局幹部によって放棄された書籍や小冊子が廃棄されずに定期的に図書館に送られるよう細心の注意を払った。1865年から1866年の間に330冊の押収作品が《地獄》に加えられている。それら押収案件の中にひときわ世間を騒がせたものもあった。1861年から1882年まで破産管財人を務め、法律家、歴史家、サド侯爵(Marquis de Sade)の手稿コレクターでもあったアルフレッド・ベジ(Alfred Bégis)の私邸から1866年に押収されたものである。ベジはこの押収を紛れもない窃盗だとして、帝室図書館を相手取り財産の返還を求める長い訴訟を起こしたが、敗訴に終わった。こうして160を超える書籍と23点の版画が図書館の所蔵となった。そのうちのいくつかを挙げると、『淑女の学校』(L’Académie des dames)と『悦びの娘』(La Fille de joye)の複数の版、『ドム・ブグル物語』、『哲学者テレーズ』、『フェリシア、あるいは私の愚行録』(Félicia ou Mes fredaines)の18世紀版(Enfer 446-449)、アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset)に帰せられる性愛文学の古典『ガミアニ』(Gamiani)の1864年プーレ=マラシス版などである。1795年版『閨房哲学』(La Philosophie dans le boudoir, Enfer 535-536)を含むサド侯爵の作品が図書館に加えられたのもこの押収によってである。以来、サドは《地獄》に最も多くの作品が含められる作者となった。

サド侯爵『閨房哲学』Sade, Donatien Alphonse François de. La philosophie dans le boudoir / ouvrage posthume de l'Auteur de Justine [le Mis de Sade]. Vol. 1, aux dépens de la Compagnie, 1795. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GMXLUE807238138/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=80789df1&pg=11.

『淑女の学校』Chorier, Nicolas. L'Academie des dames. Translated by Jean Nicolas, n.p., [après 1770]. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/FZGDAC489132885/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=fe15347a&pg=10.

個人蔵書が丸ごと取得された際に、その中の作品が《地獄》に加えられたこともある。1851年、ヴォルテール派の作品を専門とする書誌学者アドリアン=ジャン=コンタン・ブショー(Adrien-Jean-Quentin Beuchot)の旧蔵書や、大半がフランス革命期~帝政~復古王政期の演劇から成る1864年のアンリ・ド・ラ・ベドワイエール伯爵(Henri de La Bédoyère)の旧蔵書などがそうである。一例を挙げれば、諷刺パンフレット『ルイ十六世妃マリー=アントワネットの色情狂』(Fureurs utérines de Marie-Antoinette, femme de Louis XVI, Au Manège et dans tous les bordels de Paris, 1791. Enfer 653)が含まれる。

『ルイ十六世妃マリー=アントワネットの色情狂』Fureurs utérines de Marie-Antoinette, femme de Louis XVI, la mère en proscrira la lecture à sa fille; [Suivi de] Le Triomphe de la fouterie, ou les apparences sauvées, comédie en deux actes et en vers. 1791. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GEQQEM880735019/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=6b864d9e&pg=9.

 

19世紀末になると、国立図書館は書籍商からも猥褻本を購入するようになる。それ以前は、《地獄》の書物はほとんどの場合、押収や寄付によって少しずつ増やされていた。書籍商の助けを求めたことは、図書館がそれまで貴重書部門の他の作品に比べてやや低い評価を受けてきたこのコレクションに関心を持っていたことを示している。フランス語圏の出版物を専門とする書籍商で、国立図書館の認可を得ていたアドルフ・ラビット(Adolphe Labitte)は、ジュール・ゲイ(Jules Gay)、アンリ・キストメケール(Henry Kistemaekers)、オーギュスト・プーレ=マラシスなどベルギーの出版社による約50タイトルを供給していた。特筆すべき例として1882年ゲイ/デュッセ(Gay et Doucet)版の『アンリ・ロシュ氏とコンドル公爵夫人による勤行』(Exercices de dévotion de M. Henri Roch avec Mme la duchesse de Condor, par feu l’abbé de Voisenon…, Enfer 74)が挙げられ、これはすでに《地獄》に含まれていた1864年プーレ=マラシス版を補うものだった。個別の購入のほか、大口の注文としては1944年にジロー=バダン(Giraud-Badin)からの約100冊の購入が挙げられる。そのうちの一つがフェリシアン・ロップス挿絵『ラ・サンテ通りのエロチック劇場』(Le théâtre érotique de la rue de la Santé…, Enfer 1312)である。

『アンリ・ロシュ氏とコンドル公爵夫人による勤行』Voisenon, Claude-Henri de Fusée de. Exercices de devotion de M. Henri Roch avec M(Me), la duchesse de Condor. Par feu M. l'Abbé de Voisenon de joyeuse memoire et de son vivant membre de l'Academie francoise. N.p., 1786. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GHZGNB779517015/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=43e11a25&pg=9.

1960年までは、国立図書館が競売でエロティカを購入することは稀だった。ある種の分別がそれを防いでいたのかもしれない。にもかかわらず1949年にはピエール・ルイス『ピブラック』の1927年初版本(Pierre Louÿs, Pybrac. René Bonnel, 1927)を競り落としている。ただし競売による購入が一般的になるのは1980年代になってからだった。

寄付や遺贈は19世紀には稀だった。特筆すべきはマルセイユの収集家ルイ・ユボー(Louis Hubaud)による1866年の猥褻作品の寄贈である。本人の言によれば、上品ぶった人間の手に落ちて廃棄されることを防ぐための寄贈だった。ここには『コスモポリタンの手により集められた選りすぐりの作品集』(Recueil de pieces choisies rassemblées par les soins du cosmopolite, À Anconne, chez Uriel Bandant, à l’enseigne de la liberté, 1735. Enfer 924)が含まれていた。ただしほとんどの寄贈者は匿名希望だったことは特記しておく必要がある。

1909年には美術愛好家のモーリス・オデウード(Maurice Audéoud, 1864-1907)がその蔵書を国立図書館に寄贈した。そのうち650点が貴重書コレクションに「Z. Audéoud reserve」として追加されたが、18点はその内容からこの分類から外され、《地獄》に加えられた。1910年代にはフェルナン・フルーレ(Fernand Fleuret)、パスカル・ピア(Pascal Pia)、モーリス・エーヌ(Maurice Heine)らの作家が、自身の著作以外の作品も含めて頻繁に寄贈している。特筆すべきは学者・蒐書家のオーギュスト・ルスエフ(Auguste Lesouëf, 1829-1906)の旧蔵書で、1913年にその姪たちによって、3万冊近い書籍と1万8千点以上の素描を含む旧蔵書が贈られた。その中には34冊の〈小地獄〉が含まれており、より〈歴史的な〉地獄に加わることとなった。例として『フランスのメッサリナ』(La Messaline française, 1789; Smith-Lesouëf E. 33)が挙げられる。

1877年から1909年にかけて、法定納本が押収に代わる重要な入手先となった。出版社イジドール・リズー(Isidore Liseux)は少部数限定版とはいえ、学術性の名のもとに、『ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ』(Les Kama Sutra de Vatsyayana, 1885. Enfer 101)などエロティカの古典的作品の多くを白昼堂々に出版することを躊躇しなかった。

1947年には若き出版人ジャン=ジャック・ポーヴェール(Jean-Jacques Pauvert)が、かつてのように密かにではなく、一般向けにサド侯爵の全作品を出版し始め、これは彼が起訴され訴訟となっても続けられた。このように公に出版された作品も法定納本コレクションに含まれ、1955年まで《地獄》に加えられた。1948年の『悪徳の栄え』(Histoire de Juliette)、1953年の『新ジュスティーヌ』(La Nouvelle Justine ou les Malheurs de la vertu)、1954年の『閨房哲学』、『美徳の不幸』(Les Infortunes de la vertu)、1955年のジョルジュ・バタイユ序文付『新ジュスティーヌ』などがそうである。例外的に1953年の『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(Les 120 Journées de Sodome, ou l’École du libertinage)は475部限定で予約購読者にしか販売されなかった。ジョルジュ・バタイユのテクストや1954年のポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』(Pauline Réage, Histoire d’O)も同様だった。世界的に有名となったこの小説は、男性のサディスティックな幻想に対する返答だった。ジャン・ポーラン(Jean Paulhan)編の文芸誌『新フランス評論』(La Nouvelle Revue Française)で事務局長を務めていたアンヌ・デクロ(Anne Desclos)が自身がその作者であることを公表したのは1994年、86歳の時だった。

 

《地獄》の扱い

1876年には図書館長レオポール・ドリール(Léopold Delisle)のおかげで印刷本の主題別分類がアルファベット順分類に置き換えられた。《地獄》の蔵書もまた著者のアルファベット順に、匿名作品は最後に、判型も考慮に入れて再分類された。

この再分類が完了する以前は、1876年以降に受け入れられた書籍は受け入れ順に、小型本は1から199まで若い番号が、より大きな本には大きな番号が振られた。そして1876年以前に所蔵されていた書籍が分類された後で、受け入れ順による登録が再開された。1876年以前に所蔵されていた書籍は620点あり(八折判が597冊、二折判が6点、四折判が17点)その半数近くが押収から得られた本だった。このやや複雑な分類法は多くの人を混乱させた。1978年の書誌『地獄の書物たち』(Les Livres de l’Enfer)の著者パスカル・ピアもその一人で、コレクション内で最初の番号を付された『娼婦が愛人を欺く手段・姦計・詐術について』(Les Ruses, supercheries, artifices et machinations des filles publiques pour tromper leurs amants, 1871)こそが《地獄》の創設を記す本であると信じていた。

《地獄》コレクションへの最初の公の言及は1913年にギヨーム・アポリネール、フェルナン・フルーレ、ルイ・ペルソー(Louis Perceau)がメルキュール・ド・フランスから出版した『国立図書館の《地獄》』(L’Enfer de la Bibliothèque Nationale)である。これはまちがいなく図書館スタッフの助力を得て作られたものだったが、図書館による監視を完全にくぐり抜けて出版されたものだった。この本が出版されると、事が大きくなるのを避けたい図書館側は自身とは無関係であると述べるにとどまった。これ以前に、1880年代末にウィリアム・ヴィエンノー(William Viennot)が作成した手書きの目録は存在していたが、印刷物としてはアポリネール/フルーレ/ペルソーによるこの目録が最初のものだった。そこには825番までの作品が掲載され、最後の番号はフェルナン・フルーレによる17世紀テクストの見事な模倣作品だった。これら825点に加えて大型本用に901から906までの6番が、中型本に910から930までの31番があり、全体で862点が掲載された。このカタログの出版から1969年の《地獄》閉鎖までの間にさらに957番が追加された。

《地獄》の目録を見ていると、複数巻本の分類法が首尾一貫していないことが目につく。1876年以前に受け入れられた本の大半がそうであるように、特定の版の各巻・各冊に個別の番号が振られていることもあれば(Enfer 200から797)、特定の版がまとめて掲載され、つづいて枝番が振られている場合もある。したがって当然ながら、番号と実際の冊数、版数(完全・不完全なものもある)との間には齟齬があり、特に同一本が複数所蔵されている場合はそうである。

 

閲覧の許可

一般的に、これらの書物について閲覧を許可することは非常にまれだった。1977年までは、正当な理由をもって図書館長に申請をする必要があり、図書館長はこれをさらに司書諮問委員会に提出した。実際のところ、学術的な興味であることが示されれば、許可が下りることは次第に増えていった。1977年以降は印刷物部門の司書長への書面での申請も必要でなくなり、これらの書物についての閲覧許可は貴重書部門の他の書物と同じルールの下で行われるようになった。

 

鞭打ちについての書物:《地獄》の補遺

これらの書物は1880年から1930年までの時代に一種の流行となったものだった。快楽の道具を鞭にもとめるこのエロティカの一派に特化した出版社がいくつか存在していた。一例がチャールズ・キャリントン(Charles Carrington)の『パリの鞭打つ者と打たれる者たち』(Les Flagellants et les flagellés de Paris, 1902. Reserve p. Y². 1000 [211])である。公に販売され、その多くが法定納品を通じて入手されたこれらの書物は貴重書部門の他の小説と明確には区別されていなかったが、1900年代以降に特別な分類を与えられるようになり、1934年には「Reserve p. Y². 1000」につづく枝番(1~368)で区別された。この分類は1960年に閉じられ、印刷物部門(現:文学芸術部門)の「8° Y². 90000」に置き換わり、それも1996年に閉じられるまで2302の番号が振られた。1971年以降には分類「4° Y². 10000」が作られ、これも1991年に閉じられるまで133番を数えた。

『パリの鞭打つ者と打たれる者たち』Virmaître, Charles. Les Flagellants et les flagellés de Paris / Charles Virmaitre. Charles Carrington, 1902. Archives of Sexuality and Gender, link.gale.com/apps/doc/GIFZPC293301664/AHSI?u=asiademo&sid=bookmark-AHSI&xid=fa338631&pg=3.

 

《地獄》の閉鎖

1969年9月に国立図書館の理事会は《地獄》を間もなく閉鎖するという通知を出した。その理由としては道徳観念が変化したことと、1969年末に国立図書館が企画していたアポリネール展への影響が挙げられていた。貴重書部門はこの機会にギョーム・アポリネールがエロティカとして執筆した、前文を寄せた、あるいは出版した書物15点を《地獄》から外し、よりまともな分類に変更した。ヴェルレーヌのエロティカ作品も同様に《地獄》から別の分類に変更された。他方で、「低俗なポルノグラフィー」とみなされた猥書・淫書については「8° Y². 90000」および 「4. Y². 10000」に再分類された。こうして1960年代の当初は《地獄》に分類されていた書物約40点がこの2つの分類に変更された。

《地獄》閉鎖時代の最大の寄贈者は、1968年から死去する1985年まで約1000冊を寄贈したポール・キャロン(Paul Caron)だった。1969年の寄贈本一覧に掲載された340点の書物は受入処理されるまで数年を待たねばならなかった。男性スタッフがいなかったため、この仕事は寄贈部門の若い女性図書館員に初めて任されることになったが、それは彼女が既婚者で母親であるというだけの理由からだった。これらの書物の多くはタプタプ『若きミスの情熱』(Tap Tap, Passions de jeunes miss, 1907. 8° Y². 90000 [1156])のように「8° Y². 90000」に分類されるか、ジャン・ド・ヴィリオ『ミス・クートの告白』(Jean de Villiot, Les Confessions de Miss Coote, 1906. 4° Y². 10000 [43])のように「4° Y². 10000」に分類された。一部の希少な本は貴重書部門の小説・戯曲の分類に加えられるか、《地獄》から行方不明になった本の補充に使われた。

 

《地獄》の再開

1983年に、研究者や図書館員の要望に応える形で、道徳上の理由からではなく実務上の理由から、《地獄》を再開することが決定された。以降は、同時代に禁止もしくは処罰をうけた寄贈書・購入書のみが《地獄》に分類されるようになった。一例は2008年に競売で入手したサド侯爵『アリーヌとヴァルクールまたは哲学的小説』(Aline et Valcour, ou le Roman philosophique…, du marquis de Sade, Paris, Veuve Girouard, 1795. Enfer 2578 [1-4])の版である。

1983年の再開から2020年までの間に《地獄》には182点の作品が加えられ、うち100点は購入本だった。古いテクスト以上に、20世紀や21世紀のフランス内外のアーティストによる書物がここに分類されている。例えば2000年に書店から購入されたオスカル・ドミンゲスによるシュルレアリスム的挿絵入りのアンドレ・ティリオン『グラン・オルディネール』(Le Grand ordinaire, d’André Thirion, compositions surréalistes d’Oscar Dominguez, 1934 [1943]. Enfer 2540)などがそうである。

2011年には、それまで「8° Y². 90000」に分類されていた1972年から1982年までの書物18点が《地獄》に加えられた。その理由は内容とは無関係で、アメリカ人アーティスト、リチャード・プリンス(Richard Prince)によるカバーが加わったためである。プリンスは2011年に国立図書館で行われた自身の展示会のためにそれらのイラストレーションを制作した。当時の貴重書部は1960年代ニューヨークのカウンターカルチャー由来の様々な出版物を《地獄》に加える決定をしていた。

以降の《地獄》は意図して選別的になってきている。かつての「堕落」的な要素は薄れ、ひとつの貴重書コレクションの構築に方向性をシフトしている。書物が不道徳・猥褻・淫靡というだけでは《地獄》送りにするには不十分で、他の貴重書部門の書籍と同様に、希少性と唯一無二性を伴っていなければならないのである。

セクシュアリティとジェンダーのアーカイブ:フランス国立図書館所蔵「地獄」コレクション のホーム画面

セクシュアリティとジェンダーのアーカイブ:フランス国立図書館所蔵「地獄」コレクションのホーム画面

 

マリー=フランソワーズ・キニャール(Marie-Françoise Quignard)について

フランス国立図書館貴重書部名誉司書。2001年に『フランス国立図書館論叢』第7号「エロティシズムとポルノグラフィー」(Revue de la Bibliothèque Nationale de France no. 7, «Érotisme et pornographie»)を編集、2007年~2008年には『図書館の《地獄》:秘密のエロス』展(L’Enfer de la Bibliothèque, Éros au secret)をレイモン・ジョスエ・セッケルと共同でキュレート、2007年にはセッケルと共著で同展の目録を出版、2019年には改訂増補版を出す。アントニ・タピエス展(2001年)、ピエール・アレシンスキー展(2005年)もキュレートし、2016年~2017年にはバルセロナ現代文化センターの「1,000m2の欲望:建築とセクシュアリティ」展(1.000 m2 de deseo, arcquitectura y sexualidad)の18世紀部分を共同でキュレートした。

引用書式

キニャール, マリー=フランソワーズ「フランス国立図書館の《地獄》」 Archives of Sexuality and Gender: L’Enfer at the Bibliothèque Nationale de France, Cengage Learning K.K., 2021.

© Cengage Learning 2021

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お断わり

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