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(本エッセイの英語原文はこちらよりご覧いただけます。Click here for English text.)

 

はじめに

19世紀のイギリスで最も影響力のあった新聞『タイムズ』と、天下御免の諷刺雑誌『パンチ』は、さまざまな意味で両極をなしていた。『タイムズ』は生真面目で威厳にあふれ、節制と折目正しさそのものであり、上流中産階級のために書かれ、上流中産階級によって読まれる公認の国民的新聞だった。一方の『パンチ』はユーモアと皮肉にあふれ、奇想天外な挿絵と大仰な文章を中心に、貧困層や虐げられた人々の擁護者として誕生し、あらゆる物事や人物を手当たり次第にからかうユーモア誌と受け止められていた。それでも、この明らかに別種の両紙は、互いに共生しつつ、イギリスという国の複合的な世界観を体現するようになったのである。
 

『タイムズ』から見た『パンチ』

『タイムズ』は一貫して温かく『パンチ』を支持してきた。早くも1842年12月には、「この小さな出版物(『パンチ』)は創刊以来、不断の成功を収めてきた。毎週、驚くほど安定した内容で、執筆陣は尽きることのない機知を示している。諷刺と戯作の王国をあまねくつかさどる “モーモス神の使節” である」との見解を述べていた。『タイムズ』は長年にわたり頻繁に『パンチ』の諷刺を引用してコラムの隙間を埋めてきたことで、この諷刺雑誌を公認し、間接的に宣伝していたとも言える。そして1891年7月には、『パンチ』の創刊50周年にあたって「ビクトリア朝時代を知る者であれば、本紙の同時代紙のページを無視してはならない」、「イギリスの暮らしを忠実に映し出してきた鏡である」、「彼(『パンチ』)は、概して、正直なイギリス人の気持ちを代弁してきた」などと称賛の言葉を並べている。恐らく偽りのない賛辞なのであろうが、一般読者の『パンチ』に対する好意的な見方に影響されていた部分もあるかもしれない。しかし、『タイムズ』が『パンチ』を支持したもう一つの理由は、この記念日に関する記事のさらなる主張から読みとることができる。「彼(『パンチ』)は、概して、公共の問題について『タイムズ』のコラムからヒントを得てきた」。事実、『タイムズ』の社会、政治問題に関する数多くの論評と、『パンチ』におけるそれらの諷刺を比較してみれば、両紙の見解に見られる継続的な類似性は歴然としている。

 

『パンチ』創刊50周年を祝う記事(『タイムズ』1891年7月17日)
『パンチ』創刊50周年を祝う記事(『タイムズ』1891年7月17日)
"The Jubilee Of 'Punch.'." Times, 17 July 1891, p. 4. The Times Digital Archive


『パンチ』の記事を引用した例(『タイムズ』1844年8月15日)
『パンチ』の記事を引用した例(『タイムズ』1844年8月15日)
"The Railway Moral Class Book." Times, 15 Aug. 1844, p. 7. The Times Digital Archive


『タイムズ』に追随する『パンチ』

他方、『パンチ』の側では『タイムズ』から指南を受けたと認めることはなかったものの、公共の出来事に関する情報源として『タイムズ』を頻繁に引用していたのは事実である。加えて『パンチ』は、『モーニング・ポスト』、『スタンダード』、『モーニング・ヘラルド』などの各紙を頻繁に茶化していた一方で、『タイムズ』に対しては、おおむね敬意をもって言及している。『パンチ』は、『タイムズ』の記事を出発点として滑稽な戯れに興ずることが多かった。「『タイムズ』より("from the Times")」というキャプションが国を代表する有力紙の輝きと権威を『パンチ』に添えたのである。

『タイムズ』を引用した記事の例(『パンチ』1850年3月9日)
『タイムズ』を引用した記事の例(『パンチ』1850年3月9日)
[Gilbert a'Beckett]. "A Hint for a New Hansard." Punch, vol. 18, no. 452, 9 Mar. 1850, p. 93. Punch Historical Archive, 1841-1992


さらに、『パンチ』は、自紙のイメージと『タイムズ』のそれを重ね合わたり、同一視することも多々あった。そうすることによって、両紙の価値観と見解の共通性を示唆したのである。こういった位置づけを示す例がいくつかある。1846年3月7日の『パンチ』はかの生真面目な新聞と自誌が同格であることを表した挿絵を掲載している。一人の立っている男性が『パンチ』を読んでいる一方で、もう一人の座っている男性が『タイムズ』の後ろに隠れている絵だ。

『パンチ』と『タイムズ』を読む人物を描いた挿絵(『パンチ』1846年3月7日)
『パンチ』と『タイムズ』を読む人物を描いた挿絵(『パンチ』1846年3月7日)
[Gilbert a'Beckett]. "Wanted, a New Government." Punch, vol. 10, no. 243, 7 Mar. 1846, p. 114. Punch Historical Archive, 1841-1992.


1848年の「弁護士に対する無慈悲な攻撃」という見出しの典型的な短い記事では、悪徳弁護士を非難する投書を掲載した『タイムズ』を表向きは攻撃しているものの、実のところ『タイムズ』と完全に同じ意見であることは明らかだ。

「弁護士に対する無慈悲な攻撃」(『パンチ』1848年12月23日)
弁護士に対する無慈悲な攻撃」(『パンチ』1848年12月23日)
[Douglas Jerrold]. "A Cruel Attack upon Attornies." Punch, vol. 15, no. 389, 23 Dec. 1848, p. 264. Punch Historical Archive, 1841-1992


悪徳弁護士を非難する投書(『タイムズ』1848年12月13日)
悪徳弁護士を非難する投書(『タイムズ』1848年12月13日)
A SCRIBE. "Attorneys And Costs." Times, 13 Dec. 1848, p. 8. The Times Digital Archive



1854年8月の記事、「『パンチ』、議会に召喚さる」では、冗談で書かれた『パンチ』の議会審問に関する文章に「閣僚の秘密を突き止める『タイムズ』の編集者」の挿絵が添えられている。1863年10月17日の「反パンチ同盟」というおどけた見出しの記事では、(主に寄稿を拒否されたことを理由に)『パンチ』を口汚くののしる “著名な文筆家たち” は、同じ理由で『タイムズ』も口汚くののしるとしている。こういった『タイムズ』との繋がりが見当たらない『パンチ』の巻を探し出すのがむしろ難しいほどである。

「『パンチ』、議会に召喚さる」(『パンチ』1854年4月8日)
『パンチ』、議会に召喚さる」(『パンチ』1854年4月8日)
[Gilbert a'Beckett]. "Punch before Parliament." Punch, vol. 26, no. 665, 8 Apr. 1854, p. 147. Punch Historical Archive, 1841-1992.

 

実際、『パンチ』内部のもめ事においてすら『タイムズ』が引き合いに出されることが時折あった。例えば、1850年のいわゆる “教皇の侵略(Papal Aggression)” の時期に、『パンチ』の反カトリック的な表現に抗議して、著名なアイルランド系カトリック教徒の挿絵画家リチャード・ドイルが辞職すると脅した(そして最終的には辞職した)ときである。同僚たちが『タイムズ』では反カトリックの論調を採用したからといってスタッフは辞めていないと説得を試みたのに対し、『タイムズ』は君主制だが『パンチ』は共和制だ、というドイルの返答には、異質でありながら等しく偉大で比較に値する「二つの国民」が含意されていると言えよう。

『パンチ』の『タイムズ』との非公式なつながりは、前者に間接的な権威と社会的地位をもたらしたと言える。とりわけ、社会的地位の方は極めて重要だった。ほかの諷刺雑誌は低俗・下劣なイメージの犠牲となってきたからである。おそらく、さらに重要だったことは、影響力のある上流中産階級が『タイムズ』の紙面を読み、そこから論点や人物評を得ていたと推察される点である。『パンチ』がそうした読者を獲得し維持しようとすれば、必然的に同様の世界観を採るしかない。創刊当初の10年間、『パンチ』は中道保守の『タイムズ』より急進的な価値観を主張することもあったが、それでも諷刺の標的とする問題、人物、風俗、行動を特定するにあたっては、おおむね『タイムズ』に依拠していた。実際のところ、滑稽な類推や描写、時事ニュースの大げさな解釈、公人の変わった性癖などが頼りの諷刺雑誌としては、そのターゲットとする読者層によってすでに受け入れられた前提や論点に従わざるを得ないのである。

しかし、そうした影響関係が一方向のみという事はめったになく、『タイムズ』が『パンチ』に影響を及ぼしたように、『パンチ』もまた、国民の心情を体現することによって『タイムズ』に影響を及ぼしていたのは明らかである。例えば、トーマス・フッドの扇動的な詩、『シャツの歌(Song of the Shirt)』を初めて掲載したのは『パンチ』だったが、『タイムズ』もその1週間後にこの詩を転載したことで、貧困と市場原理の酷さに対する『パンチ』のより感情的で共感的な姿勢を実質的に踏襲したと言える。

「シャツの歌」(『パンチ』1843年12月16日)
シャツの歌」(『パンチ』1843年12月16日)
[Editor's Copy]. "The Song of the Shirt." Punch, vol. 5, no. 127, 16 Dec. 1843, p. 260. Punch Historical Archive, 1841-1992

 

「シャツの歌」(『タイムズ』1843年12月16日)
シャツの歌」(『タイムズ』1843年12月16日)
"The Song Of The Shirt." Times, 16 Dec. 1843, p. 5. The Times Digital Archive.


パンチの独自の役割

『タイムズ』は言うまでもなく、その社説における主張に代表されるように、主としてニュースのプレゼンター、定義者、形成者であった。どの出来事を国民に意識させるかを決定し、(主観的ではあるものの)公共問題の事実を説き明かすのが『タイムズ』の役割だった。対照的に『パンチ』は、ニュースそのものを提示するというより、ニュースに対する大衆の反応を代弁していた。すなわち、ユーモアと諷刺という道具を用い、出来事に対する大衆の反応を具現したり、尾ひれを加えたり、形成したりしたのである。ニュースが何なのかを知るために『パンチ』を読む人はまずいなかったであろう。それよりも、『パンチ』が話題の出来事を料理した記事について一通り笑うなり憤るなりした後で、その出来事に対する見方が多少なりとも変わったり、より情緒的になった読者は多かったのではないかと推察される。

例えば、従軍記者ウィリアム・ハワード・ラッセルの言葉を通してクリミア戦争の惨状を数々報じたのは『タイムズ』だったが、『パンチ』もまた、1854年の諷刺漫画「かじ取りをしている人に話しかけないでください」(沈みかかっている船の舵柄で居眠りをするアバディーン卿が描かれている)をはじめとする、首相を鈍感・無能に描いた視覚攻撃によって、世論喚起における独自の重要な役割を果たしていた。

クリミア戦争の戦況を厳しく非難する記事(『タイムズ』1854年12月23日)
クリミア戦争の戦況を厳しく非難する記事(『タイムズ』1854年12月23日)
"To-day all the world goes down to the country." Times, 23 Dec. 1854, p. 9. The Times Digital Archive.


「かじ取りをしている人に話しかけないでください」(『パンチ』1854年8月26日)
かじ取りをしている人に話しかけないでください」(『パンチ』1854年8月26日)
"You are Requested Not to Speak to the Man at the Wheel." Punch, vol. 27, no. 685, 26 Aug. 1854. Punch Historical Archive, 1841-1992


あるいは、アイルランド土地同盟を象徴するタコのような怪物に果敢に挑むグラッドストン首相を描いた『パンチ』の1881年の漫画「アイルランドの魔魚(タコ)」を取り上げてみよう。アイルランドにおける地主・小作農の慣習を改革したグラッドストンのアイルランド土地法を隠喩的に視覚化した同作品の方が、1881年に同法を巡って『タイムズ』が掲載した数々の記事よりも、はるかに直感的であり、はるかに強く心を捉えられる。

「アイルランドの魔魚(タコ)」(『パンチ』1881年6月18日)
アイルランドの魔魚(タコ)」(『パンチ』1881年6月18日)
[Edwin James Milliken]. "The Irish Devil-Fish." Punch, vol. 80, 18 June 1881, pp. 282+. Punch Historical Archive, 1841-1992.


『パンチ』アーカイブ利用者へのアドバイス

一般的に『パンチ』では、当時広く知られていた出来事や人物を誇張したり戯画化している。当時の『パンチ』読者は関連する文脈を理解していたが、現代の『パンチ』アーカイブ利用者には、そうした記事を完全に理解する上で必要な背景情報が不足している場合もあるだろう。

例えば、1840年代に『パンチ』は、保護貿易派の政治家、ジョージ・ベンティンク(George Bentinck)卿を頻繁に諷刺していた。1847年初頭には、説明コメント抜きで、「鉄道王子ジョージ・ベンティンク卿、ハドソン王の王冠を試着」と題した全ページ大の漫画を掲載している。現代の教養ある読者であれば、シェイクスピアの『ヘンリー四世』でハル王子が王冠を試着するシーンをモチーフにしているところまではわかるであろう。それでも、“鉄道王子” や “ハドソン王” に関しては当惑するのではないだろうか。そこで、1847年2月の『タイムズ』アーカイブを見てみると、アイルランドでの鉄道開発を目的とした助成金を “鉄道王” ジョージ・ハドソンに支給すべく、ベンティンクが議会に法案を提出した一件に関する記事がいくつかある。このように、ほかの場合も同様だが、『パンチ』に掲載される政治漫画の謎を解明し、その政治諷刺の含意を完全に理解するには、『タイムズ』と『パンチ』を並べて読むのが一番なのである。

「鉄道王子ジョージ・ベンティンク卿、ハドソン王の王冠を試着」(『パンチ』1847年2月20日)
鉄道王子ジョージ・ベンティンク卿、ハドソン王の王冠を試着」(『パンチ』1847年2月20日)
[John Leech]. "Lord George Bentinck, Prince of Rails, Trying on King Hudson's Crown." Punch, vol. 12, no. 293, 20 Feb. 1847. Punch Historical Archive, 1841-1992


アイルランド鉄道法案についての記事(『タイムズ』1847年2月9日)
アイルランド鉄道法案についての記事(『タイムズ』1847年2月9日)
"IRISH RAILWAYS.-Lord G. Bentinck's measure." Times, 9 Feb. 1847, p. 7. The Times Digital Archive.


恐らく、『パンチ』の記事で完全に解読あるいは理解するのが一番難しいのは、ページの一部に掲載される重要度の低い出来事の諷刺文であろう。(例えてみれば、未来の歴史家は、現代の深夜テレビに登場するコメディアンの漫談を文化史の宝庫と捉えるかもしれないが、そのジョークの含みやニュアンスを読み取るのは容易ではないだろう。)現代の読者に同様の問題を突きつけるのが『パンチ』である。例えば、ウィリアム・サッカレーが書いた1844年1月の短い記事、「重要な昇格!報われた功労!」では、フランス国王から爵位を授かったジェンキンス(『パンチ』のお約束で『モーニング・ポスト』の擬人化)に喝采を送っているが、これは一体何の話をしているのだろうと戸惑うに違いない。その答えは『タイムズ』を見ればわかる。少し前に『タイムズ』は、フランスの自称王位継承者についての『モーニング・ポスト』の卑屈な記事を転載しており、その記事を熟読してみると明らかになるのだが、王族とおぼしき人物への『モーニング・ポスト』のへつらうような姿勢こそが『パンチ』による諷刺の餌食となったのである。『パンチ』のさまざまな諷刺や記事の背景情報を把握したいのであれば、ぜひ『タイムズ』歴史アーカイブを参照していただきたい。

「重要な昇格!報われた功労」(『パンチ』1844年1月6日)
重要な昇格!報われた功労!」(『パンチ』1844年1月6日)
Henri [Editor]. "Important Promotions! Merit Rewarded!" Punch, vol. 6, no. 130, 6 Jan. 1844, p. 15. Punch Historical Archive, 1841-1992


外交上の機微を顧みずに来英したアンリ・ダルトワを追う他紙を非難する社説(『タイムズ』1843年12月13日)
外交上の機微を顧みずに、来英したアンリ・ダルトワ(ボルドー公)を追う他紙を非難する社説(『タイムズ』1843年12月13日)
"London, Wednesday, December 13, 1843." Times, 13 Dec. 1843, p. 4. The Times Digital Archive.


「ボルドー公:やんごとなき王子」と題された『モーニング・ポスト』の記事の引用(同上)
ボルドー公:やんごとなき王子」と題された『モーニング・ポスト』の記事の引用(同上)
"THE DUKE DE BORDEAUX.-The illustrious Prince." Times, 13 Dec. 1843, p. 4. The Times Digital Archive.


おわりに

『タイムズ』と『パンチ』がそれぞれ異なる仕方で19世紀の暮らしを記録していたことはビクトリア朝時代の共通認識であった。これは1875年7月17日付けの『アテナイウム(The Athenaeum)』誌で効果的に述べられている。

想像するに、19世紀を研究する未来の歴史家が、『パンチ』を最も有用性の低い資料と捉えることはないだろう。出来事の記録としてではなく(…)それらの出来事に対してイギリスの中産階級が当時どのような感情をいだいていたかを証明するものとして捉えるのではないだろうか。端的に言うなら『パンチ』は、ほどほどの教養を持つ俗人が笑いたいと思ったときに、笑えるようにしているのである。それは『タイムズ』の読者が真剣で思慮深くなれたり、あるいは自分が真剣で思慮深いと思えたりするのと同様の効用である。『パンチ』は読者の思いに諧謔・寸鉄の形を与えることでその標的を間抜けに見せ、あたかも自分が皮肉で敵を圧倒したかのような喜びを感じさせてくれるのである。

 

『パンチ』歴史アーカイブのホーム画面
『パンチ』歴史アーカイブのホーム画面

 

『タイムズ』歴史アーカイブのホーム画面
『タイムズ』歴史アーカイブのホーム画面


 

無断転載を禁じます。

引用書式の例:サイモンズ、ゲーリー(センゲージラーニング株式会社 訳)「世相を映す合わせ鏡:『パンチ』と『タイムズ』」 Punch Historical Archive 1841-1992. Cengage Learning KK. 2022

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お断わり

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