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はじめに

バーニー新聞コレクション(Burney Newspapers)として広く知られるコレクションは、現在、ロンドンのセントパンクラスにある大英図書館所蔵の膨大な初期刊本の一部として保管されている。その中核をなすのが、1817年、チャールズ・バーニー(Charles Burney)師の没後に大英博物館が取得した同師の蔵書である。バーニー・コレクションは、世界で最も包括的な初期イギリス新聞のコレクションであり、研究者と学生に比類ない資料を提供するものである。新聞は印刷機が生んだ刷り物の中で最も短命なもののひとつであるが、デジタル化によって、この類を見ないコレクションの厖大な収録範囲が明らかとなり、その内容が初めて完全に閲覧可能となった。
 

チャールズ・バーニーの肖像(『European Magazine』1819年3月の特集より)

チャールズ・バーニーの肖像(『European Magazine』1819年3月号より)
Brewer, George. The European magazine, and London review; containing the literature, history, politics, arts, manners and amusements of the age. By the Philological Society of London. Edited by James Perry, vol. 75, printed for John Fielding No. 23, Pater Noster Row; John Debrett, opposite Burlington House, Piccadilly; and John Sewell, No. 32, Cornhill, [1782]-1826. Eighteenth Century Collections Online.

 

チャールズ・バーニーとそのコレクション

1757年に生まれたチャールズ・バーニーは、音楽史家チャールズ・バーニー博士の息子であり、作家フランシス(“ファニー”)・バーニー(Frances “Fanny” Burney)の弟でもある。奔放な少年期を経て、1781年に教員の職に落ち着き、1786年には自身の運営する学校の校長に就任した。1780年代に古典学者としての名声を確立させ、1808年には、イングランド国教会で叙任されている。その没後にバーニーの蔵書は13,000冊を超え、そのほとんどが古典作家の書籍だったが、他にマニュスクリプト500巻、イギリス演劇に関する資料400巻近く(バーニーはイギリス演劇史を書きたいと考えていた)、そして約700巻にのぼる新聞(大半がイングランドのもの)が含まれていた。これらのコレクションの重要性は、1818年に大英博物館が全蔵書を購入できるように議会下院が13,500ポンドを拠出したことからもうかがえる。

バーニー旧蔵書の購入についての英国議会での議論(ハンサード『英国議会討議録』1818年5月4日より)

バーニー旧蔵書の購入についての英国議会での議論(ハンサード『英国議会討議録』1818年5月4日より)
Hansard, Thomas Carson, and Great Britain. Parliament. The parliamentary debates from the year 1803 to the present time : forming a continuation of the work entitled "The parliamentary history of England from the earliest period to the year 1803". Vol. 38: Ser. 1, Printed for Longman, Husrt, Rees, Orme, and Brown [etc.], 1812-1820. Sabin Americana: History of the Americas, 1500-1926.


コレクションの規模について

大英博物館図書館による取得後、バーニーの新聞は、すでに同館に所蔵されていた他の新聞と統合されている(その中には1753年に大英博物館が創設される基となったハンス・スローン(Hans Sloane)卿の旧蔵であったものも含まれる)。

バーニーは、自らの新聞コレクションをタイトルではなく日付ごとに分類していた。おそらく自身の研究にとっては使い勝手がよかったのであろうが、後の利用者にとっては不便であった。つまり、特定の日付の各紙がまとめられ、さらにその多くが各年ごとに製本されていたのである。数多くの新聞が同時に発行されていた18世紀後期は、1年分をさらに数巻に分ける必要があった。その一方で、各年ごとの巻の中でタイトルごとの日付順に製本されている場合もある。大英博物館図書館がすでに所蔵していた新聞は、こういった分類法のいずれかに従って、既存の巻の中に挿入されていったようである。

その後も、大英博物館図書館によってタイトルや号がさらに追加され、バーニー・コレクションの規模は3分の2ほど増していた。多くの追加は少しずつなされたものであるが、注目に値する大きな追加もいくつかあった。例えば、1972年に建築家で切手収集家のシドニー・R・ターナー(Sydney R. Turner)から遺贈された資料は、多くの欠号を埋めただけでなく、『コーン・カッターズ・ジャーナル(Corn Cutter’s Journal)』(1735年に当時のロバート・ウォルポール首相によって廃刊させられた政府系の新聞)といった新タイトルも加えることになった。こうした追加資料の一部はバーニーの分類法に従ってコレクション内に挿入されることもあれば、タイトルごとの日付順のまま保管され、既存の巻に挿入できる場合は挿入するといったやり方がとられたため、コレクションの全体的な分類を乱す結果となった。年ごとにまとめられていた巻の一部は再製本の過程でタイトルごとの日付順に分類し直されている。バーニーが作成した手書きの目録は現存するものの、自身の分類が(不完全に)記録されていた一方で、その後の追加や変更も(追記された注釈の形で)反映されていった。コレクションの当初の分類とその後の追加により、同じ号が異なる複数の巻に入っているなど、いくつかの重複が生じる結果につながったのである。こういったケースの多くもデジタル化によって明らかになった。

『コーン・カッターズ・ジャーナル』1735年3月25日号より

『コーン・カッターズ・ジャーナル』1735年3月25日号より
"News." Corn Cutter's Journal, 25 Mar. 1735. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

 

バーニー・コレクションは、現在、17世紀の新聞が約136巻、18世紀の新聞が約1145巻に製本されている。巻の多くが非常にもろくなっており、数年前から、コレクション全体が大英図書館の閲覧室で閲覧できなくなっていた。本デジタル化プロジェクトが完了するまで、閲覧はマイクロフィルムを通してのみ可能だったが、当初の各巻が日付順に分類されていたことから個別のタイトルや号を探し出すのが難しかった。デジタル化された新聞データベースによって、事実上、この比類ないコレクションのすべてと言える、1270を超えるタイトル、90万を超えるページのすべてにアクセスできるはこびとなった。


コレクションの収録範囲について

バーニー・コレクションは、主として17世紀と18世紀にロンドンで発行された新聞から成る。タイトルの年代は1603年から1800年代初期におよぶ。コレクションの中で最も古い資料は実は書籍で、1604年に出版された『会議の要旨(The Summe and Substance of the Conference)』という、1603年ハンプトンコート会議の討議記録で、この会議は1611年の欽定訳聖書刊行につながった。バーニーは亡くなるまで、こういった古い出版物を収集する一方で、同時代の新聞を自身のコレクションに加え続けた。1800年以降に発行された新聞の大半は、1932年に大英博物館新聞図書館の新館が作られた際にそちらへ移されたが、1800年代初頭のものの一部はバーニー・コレクション本体にとどまっていたことから、今回のデジタル化に含まれている。

『(ハンプトンコート)会議の要旨』1604年より(右は内ページ部分拡大)

『(ハンプトンコート)会議の要旨』1604年より(右は内ページ部分拡大)
"Advertisements and Notices." Summe and Substance of the Conference, Primary Source Media, 1604. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

コレクションの最初期の資料の中に1620年代の英語のニュースブックがある。「ニュースブック(newsbook)」という呼称はその形態に由来する。小さな本、パンフレットのような形でニュースを定期的に広めた初の出版物であった。1622年5月23日付けの『イタリア(…)からのウィークリー・ニュース(Weekly Newes from Italy, …)』は、こういった初期の「コラント(coranto)」の1つであり、バーニー・コレクションに残されていなければ、その存在が知られることもなかったであろう。

『イタリア(…)からのウィークリー・ニュース』1622年5月23日より(右は第2ページ部分)

『イタリア(…)からのウィークリー・ニュース』1622年5月23日より(右は第2ページ部分)
"Advertisements and Notices." Weekly News, 1622, Primary Source Media, 1622. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

イングランド内戦が起きていた1640年代のニュースブックは数多く残されており、王党派と議会派双方のニュースやプロパガンダが記載されている。一例を挙げると、バーニー・コレクションには、チャールズ1世の処刑を含む内戦の主な出来事が起きた1643年7月から1649年11月まで発行されていた『議会における一部議事進行の完全な日誌(Perfect Diurnall of Some Passages in Parliament)』のかなりの部分が揃っている。

『議会における一部議事進行の完全な日誌』1645年4月21日~28日より

『議会における一部議事進行の完全な日誌』1645年4月21日~28日より(ニューモデル軍への言及がみられる)
"News." Perfect Diurnall of Some Passages in Parliament [1643], Primary Source Media, April 21, 1645 - April 28, 1645. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

同コレクションに含まれている1650年代と1660年代の新聞はさほど多くないものの、1665年創刊の『オックスフォード・ガゼット(Oxford Gazette)』と、より名の知れている1666年創刊の後継紙『ロンドン・ガゼット(London Gazette)』の所蔵はかなり広範におよぶ。特に後者は、その1枚刷り・2段組みの形態からイギリス初の新聞と称されることが多々ある。

『ロンドン・ガゼット』1666年2月1日~5日より(1枚刷りの表と裏)

『ロンドン・ガゼット』1666年2月1日~5日より(1枚刷りの表と裏)
"Business." London Gazette, February 1, 1666 - February 5, 1666. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

1678年のカトリック陰謀事件や1688年のオラニエ公ウィレム到来とその後の名誉革命の頃に、短命な刊行物の乱立があったのものの、1680年代と1690年代からの新聞は、1695年に特許検閲法が失効するまで数が限られていた。例外は、1691年から1697年にかけて発行され、読者からの質問に答えることに専念した『アシーニアン・ガゼット(Athenian Gazette)』であるが、新聞というよりも定期刊行物に近い。出版物の統制がなくなった1695年に創刊され、1720年代以降まで発行が続いた『ポスト・ボーイ(Post Boy)』と同紙から派生した『ポスト・マン(Post Man)』は、他の所蔵館では見られないほどの連続した号が幅広く取りそろえられている。

『アシーニアン・ガゼット』1695年12月10日号より(右は部分拡大、読者からの相談とその答えが見られる)

『アシーニアン・マーキュリー』(『アシーニアン・ガゼット』の後継紙)1695年12月10日号より
(右は部分拡大、読者からの相談とその答えが見られる)
"News." Athenian Gazette, 10 Dec. 1695. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

18世紀に入った1702年、イギリス初の日刊紙『デイリー・クーラント(Daily Courant)』の創刊により、ロンドンの新聞はその真価を発揮することになる。バーニー・コレクションは、ロンドンの報道出版物の成長と発展を1800年に至るまで反映している。この時期の主要な新聞はすべて、刊行された全号とはいかないまでも、多くの号が連続して幅広く取りそろえられている。多くの場合、各タイトルが発行した号を取りそろえた実質的に唯一のコレクションを提供しているのがバーニー・コレクションなのである。『デイリー・クーラント』は、1727年から1733年の間を除き、創刊号からほぼすべて揃っている。この唯一無二のコレクションの豊富さを代表するタイトルをこの他にもいくつか挙げるといしよう。週3回発行の夕刊紙の中でも最も長く続いたタイトルの一つである『ロンドン・イブニング・ポスト(London Evening Post)』(1727-1806年)は、1780年以前については実質的に完全揃いである。

『デイリー・クーラント』1702年3月11日創刊号より(右は部分拡大、毎日刊行されることを述べている)

『デイリー・クーラント』1702年3月11日創刊号より(右は部分拡大、毎日刊行されることを述べている)
"News." Daily Courant, 11 Mar. 1702. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

反体制派のジャーナリスト(そしてジャコバイトでもあった)ナサニエル・ミスト(Nathaniel Mist)は、『ウィークリー・ジャーナル、またはサタデーズ・ポスト(Weekly Journal, or, Saturday’s Post)』(1716-1725年)、『ミストのウィークリー・ジャーナル(Mist’s Weekly Journal)』(1725-1728年)、『フォッグのウィークリー・ジャーナル(Fog’s Weekly Journal』(1728-1737年)を立て続けに創刊した。これらもすべて、かなりの連続した号が残されており、他では見られない。

『ウィークリー・ジャーナル、またはサタデーズ・ポスト』1717年8月17日号より(左はベオグラード周辺の地図を載せた表紙、右は内ページ部分拡大)

『ウィークリー・ジャーナル、またはサタデーズ・ポスト』1717年8月17日号より
(左はベオグラード周辺の地図を載せた表紙、右は内ページ部分拡大)
"News." Weekly Journal or Saturday's Post, 17 Aug. 1717. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

ロバート・ウォルポール伯爵の命令を受け、『デイリー・クーラント』を含むいくつかのタイトルに取って代わり創刊された『デイリー・ガゼッティア(Daily Gazetteer)』(1735-1746年)は、1736年から1744年の期間はほぼ完全に揃っている。論争好きで諷刺の効いた『グラブ・ストリート・ジャーナル(Grub Street Journal)』(1730-1737年)もほぼすべて揃っている。

『グラブ・ストリート・ジャーナル』1732年10月26日号より(右は記事冒頭の部分拡大)

『グラブ・ストリート・ジャーナル』1732年10月26日号より(右は部分拡大)
"News." Grub Street Journal, 26 Oct. 1732. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

当時最も成功を収めた新聞のひとつである『パブリック・アドバタイザー(Public Advertiser)』(1752-1794年)もほぼ完全に揃っており、同タイトルの連続した号がここまで取りそろえられている例は他にない。夕刊紙として初めて毎日発行された『スター(The Star)』(1788-1831年)は、創刊当初の数年は大半の号が抜けているものの、その後は1800年までほぼ完全に揃っている。社交界とスキャンダルを中心としていた『ワールド(The World)』(1787-1794年)は、抜けている号が極めて少なく、こちらも、連続した号がここまで取りそろえられているのは同コレクション以外にない。

『パブリック・アドバタイザー』1790年9月29日号より

『パブリック・アドバタイザー』1790年9月29日号より
"News." Public Advertiser, 29 Sept. 1790. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

英国の地方紙はバーニー・コレクションにあまり含まれていない。地方紙の収集は1905年に設立された新聞図書館の責務となったわけだが、バーニー・コレクションの17世紀と18世紀の巻に入っていたものは、この時も、その後も新聞図書館に移転されることがなかった。こういった極めて貴重な地方紙の多くは各号がまばらな状態でしか収録されていないが、中には1年以上にわたり揃っているものもある。例えば、アイルランドの新聞の中でも『ダブリン・マーキュリー(Dublin Mercury)』(1766-1770年)は、1769年から1770年半ばまでの号があり、これはこの期間について唯一現存すると思われるものである。エディンバラ発行の『ラウンジャー(Lounger)』(1785-1787年)は完全揃いである。イングランドの地方紙としては、『バース・クロニクル(Bath Chronicle)』(1770-1925年)は主に1784年から1789年に発行された号が連続してほぼ揃っている。また、『チェスター・クロニクルまたはコマーシャル・インテリジェンサー(Chester Chronicle or Commercial Intelligencer)』(1775-1779年)については、主に1775年と1776年に発行された唯一現存する号が収録されている。イングランドの地方紙で最も初期のタイトルは、『ジョズ・ブリスのエクセター・ポスト・ボーイ(Jos. Blis's Exeter Post Boy)』で、1711年5月4日付けの第211号のみがある。

『エクセター・ポスト・ボーイ』1711年5月4日号より

『ジョズ・ブリスのエクセター・ポスト・ボーイ』1711年5月4日号より
"News." Jos Blis's Exeter Post Boy, 4 May 1711. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

また、もっと遠方の新聞もいくつか含まれている。例えば、アメリカの新聞では、1721年と1722年の『ボストン・ガゼット(Boston Gazette)』(1719-1741年)が数号、1721年8月から1723年9月までの『ニュー・イングランド・クーラント(New England Courant)』(1721-1726年)が連続で残されている。さらに『バルバドス・マーキュリー(Barbados Mercury)』(1762?-1786?年)の2号と『バルバドス・ガゼット(Barbados Gazette)』(1731-1788年)の1号は他に現存が確認されていない。

『バルバドス・マーキュリー』1781年10月27日号より(右は内ページ部分拡大、逃亡奴隷の広告)

『バルバドス・マーキュリー』1781年10月27日号より(右は内ページ部分拡大、逃亡奴隷の広告)
"Advertisements and Notices." Barbados Mercury, 27 Oct. 1781. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

バーニーは、新聞と、現在は普通「定期刊行物」と呼ばれるもの、すなわち、ニュースが中心ではなく、一般的な論評や批評を掲載したり、特定のトピックに関する議論に特化したりする逐次刊行物とを明確に区別していなかった。このことから、バーニー・コレクションには非常に有名な定期刊行物も含まれている。例えば、作家で政治家のジョゼフ・アディソン(Joseph Addison)とリチャード・スティール(Richard Steele)が編集した『タトラー(Tatler)』(1709-1711年)や『スペクテイター(Spectator)』(1711-1712年)である。『タトラー』については『アイザック・ビッカースタフの研鑚(The Lucubrations of Isaac Bickerstaff)』の題で1710年から1711年に出された総集編が収録されているのみだが、『スペクテイター』は週3回発行された元の号が収録されている。

『タトラー』、『スペクテイター』ともにロンドンの演劇に多々触れているが、バーニー・コレクションに同じく含まれるアーロン・ヒル(Aaron Hill)の『プロンプター(The Prompter)』(1734-1736年)には、演技を、ひいては演劇を改革したいというヒルの熱意が反映されている。一方、政治改革を象徴していたのがジョン・ウィルクス(John Wilkes)の『ノース・ブリトン(North Briton)』(1762-1763年)で、悪名高き45号では七年戦争を終結させたパリ条約の合意条件についてジョージ3世(George III)の大臣らを非難している。

『プロンプター』1735年6月27日号より(右は内ページ部分拡大)

『プロンプター』1735年6月27日号より(右は内ページ部分拡大)
"News." Prompter [1734], 1735. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

 

『ノース・ブリトン』第45号(1763年4月23日)より(右は内ページ部分拡大)

『ノース・ブリトン』第45号(1763年4月23日)より(右は内ページ部分拡大)
"News." North Briton [1762], 1763. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

バーニー・コレクション内の宝の多くは、少なくとも学者や研究者の間では広く知られてきたが、ともに含まれている数多くのパンフレットやブロードサイドが表に出ることはほとんどなかった。パンフレットの主題は多岐にわたる。1620年代と1630年代、そしてイングランド内戦中のニュースブックとともにニュース・パンフレットが収録されている。これらの他、17世紀半ば以降のパンフレットは政治や宗教に関するさまざまな論争を取り上げている。また、歴代の国王が議会に対して行ったスピーチを記した18世紀のパンフレットも多くある。ブロードサイドは実に多種多様である。政治を取り扱ったものがあれば、商業的なもの(数多くの広告を含む)や国内外の特筆すべき出来事を報じているものもある。ほとんどは一緒に保管されていた新聞に何らかの形で関係するものだが、全くの偶然によってバーニー・コレクションにたどり着いたようなものもある。そのすべての閲覧を可能にするのが今回のデジタル化である。

『1603年3月19日に議会上院で行われた国王陛下(ジェイムズ1世)の演説』

『1603年3月19日に議会上院で行われた国王陛下(ジェイムズ1世)の演説』より
"News." Kings Maiesties Speech As It Was Delivered by Him in the Upper House of the Parliament, Primary Source Media, 1604. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.

 

『プア・ロビンの予言集』(1677年5月23日)より

『プア・ロビンの予言集』(1677年5月23日)より
"News." Poor Robins Prophesies, 1677. Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection.



研究テーマ

バーニー・コレクションは、その厖大な規模と収録範囲から、極めて幅広い研究テーマにとってこの上なく貴重なリソースとなる。17世紀、18世紀を専門とする歴史家にとっては、研究テーマが政治であれ、社会一般であれ、最初に探索すべき一次資料となろう。また、宗教史を研究する人にとっても有益である。さらに、経済史研究の資料としてもその価値が認められ始めている。というのも、新聞には、株価や海運情報、商業一般にいたるまで多種多様な経済情報が含まれているからである。1700年代初期以降、相当の紙面を占めるようになった広告には数多くの商売についての情報が掲載されている。出版業界については特に、近刊書や既刊書の広告を通じて多くの情報が提供されている。文学史の研究者には、随筆、詩に加え、新聞や定期刊行物で連載された長編作品などがある。また、広告は、発展途上にあるジャンルのひとつとして、あるいは様々な情報源として探求することもできる。例えば、医薬品(いんちき薬も真正な薬も含めて)、売買品、販売または賃貸される不動産、逃亡した使用人、所持品の紛失や盗難など、例を挙げればきりがない。初の日刊紙が発行されたときから劇場は定期的に演目を宣伝してきたが、ほどなくして、その上演に対する批評や役者に関するゴシップも掲載されるようになった。新聞は、出生、結婚、死亡記事はもちろん、紙面で触れられている数多くの(あらゆる社会階層の)男女、子供たちを介しても、家族史や社会史の研究者にとって有益な、個人に関する豊富な情報源だ。貴族、ジェントリー、貿易商、小売商、作家、医師、起業家など数多くの人々が、驚くべき逸話、道徳心の向上につながる逸話、面白い逸話の主人公として登場している。バーニー・コレクションは1600年代初頭から19世紀初頭までのイギリス史が凝縮されている宝庫なのである。
 

大英図書館所蔵 バーニー収集 17世紀~18世紀 英国新聞コレクションのホーム画面

大英図書館所蔵 バーニー収集 17世紀~18世紀 英国新聞コレクションのホーム画面

無断転載を固く禁じます。

引用書式の例:ゴフ、モイラ(センゲージラーニング株式会社 訳)「大英図書館所蔵バーニー新聞コレクションについて」 Seventeenth and Eighteenth Century Burney Newspapers Collection. Cengage Learning KK. 2022

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お断わり

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