佐藤元状先生にイギリスの新聞雑誌についてお話を伺いました

 

 

 慶應義塾大学教授

データベースの登場で今、 文学研究の質が変わってきています

実施日:2014年1月21日 
ゲスト:佐藤 元状 先生
機 関:慶應義塾大学 
協 力:紀伊國屋書店 
トピック: 
Daily Mail Historical Archive
The Sunday Times Historical Archive
The Listener Historical Archive

 

 

ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴの映像学

今日は、サバティカルでイギリスに滞在していらっしゃる慶應義塾大学法学部の佐藤元状先生に、弊社センゲージ・ラーニングの新聞データベースについてインタビューさせていただきます。佐藤先生、お忙しいところ、時間を割いてくださいまして、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします。


先生は一昨年、映像文化に関する単著『ブリティッシュ・ニューウェイヴの映像学:イギリス映画と社会的リアリズムの系譜学』(ミネルヴァ書房)を上梓されましたが、これまでの研究の中でイギリスの歴史的な新聞や雑誌をどのように使ってこられましたか。

ご紹介いただいた本を書くに当たっては、同時代の歴史的資料として新聞と雑誌を有効に活用しました。この本の目的は、リンゼイ・アンダーソン、トニー・リチャードソン、カレル・ライスという3人の映像作家に注目して、1950年以降のイギリス・リアリズム映画の内容を検証することにありました。彼らの映画が同時代の批評家にどのように評価されていたのかを知るために、新聞や雑誌のレビュー欄は格好の題材でした。イギリスには ”Sight and Sound” と ”Films and Filming” という映画雑誌があります。この二つは、映画を知る上での必読文献ですから、個人で購入し熟読しました。新聞については、特定の新聞に偏ることなく、幅広く必要に応じて入手しました。特に、センゲージからデータベースで利用できる The Times Digital Archive は非常に役に立ちました。それ以外の新聞は、大英図書館で入手しなければならないため、データベースは本当に便利だと思いました。この本以外には、タイムズ紙の記事を参照しながらグレアム・グリーン(Graham Greene)の小説『ブライトン・ロック(Brighton Rock)』を歴史的に読み解いた論文を発表したこともあります(「ポピュラー・カルチャーとイングリッシュネスの政治学――グレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』と後期モダニズムの困難」(『転回するモダン――イギリス戦間期の文化と文学』研究社、所収)。後でもお話ししようと思いますが、新聞と文学の関係は大きな問題だと考えています。このように、研究では新聞も積極的に活用しています。

研究の視野を広げてくれるデータベース

 

今回、センゲージのサンデー・タイムズ(The Sunday Times)、リスナー(The Listener), デイリー・メール(Daily Mail)のデータベースをお使いになられて、どのような感想をお持ちになりましたか。
便利でした。研究の視野を広げてくれるデータベースです。個人的にはリスナーに大きな関心を持っています。キーワード検索を活用するだけで、いろいろなアイディアが浮かんできます。今『グレアム・グリーン:ある映画的人生』という著書を執筆しているのですが、この本がカバーする1930年代から1940年代にかけての時代について、幾つか鍵となる言葉があります。たとえば、「ミドルブラウ(middlebrow)」。高級でもなければ大衆的でもない、両者の中間に存在する教育的で民主的な文化を表す言葉です。「ミドルブラウ」という言葉を誰が、どのように使用したのか知りたい場合、検索をかけるとすぐに分かります。また、「ミドルブラウ」というキーワードだけでなく、関連するキーワードを使って検索することによって、時代の姿、輪郭が見えてきます。ですから、僕の次のプロジェクトにとって、これらのデータベースは大変重要な位置を占めているということになります。


ありがとうございます。「ミドルブラウ」というキーワードを使って検索されてみて、何か興味深い事例はありましたか。
ありました。「ミドルブラウ」は今の文学研究の流行言葉です。サンデー・タイムズで見ると1920年代から1930年代にかけて使われています。書評欄でも使われていますし、文化のあり方を示すテクニカルタームとしても使われています。サンデー・タイムズやリスナーでは僕が知らなかった文献が出てきたので、非常に役に立ちました。

 

サンデー・タイムズは文化史的な価値が高い資料

 

それでは、個々のデータベースについての質問をさせていただきます。まずサンデー・タイムズです。サンデー・タイムズのような日曜日に発行される週刊新聞は、日本には存在しません。サンデー・タイムズのようなイギリスの日曜新聞を日本の文学・文化研究者が歴史資料として使う場合、どのような使い方が考えられますか。

コーヒーメーカー一式を宣伝するハロッズの広告。「16ポンドで香りのよいエスプレッソ・コーヒーを淹れることができます」と謳っている(Sunday Times, April 5, 1959)
コーヒーメーカー一式を宣伝するハロッズの広告。「16ポンドで香りのよいエスプレッソ・コーヒーを淹れることができます」と謳っている(Sunday Times, April 5, 1959)

 

日本の新聞とイギリスの新聞では、質と量に大きな違いがあるので、安易に比較することはできません。比較する際は慎重に取り組む必要があります。ただ、サンデー・タイムズは日本の新聞の日曜版に似ているという面はあります。日本の新聞の日曜版には付録が付いてきますね。朝日新聞であれば「GLOBE(グローブ)」です。平日版より記事の量が多いですね。サンデー・タイムズも、平日版より記事の量が多いという風に考えれば、イメージしやすいと思います。でも、その量がとにかく多いのです。ページ数で言えば、日本の新聞の5倍はあると思います。持ち運びする時は、ハンドバッグのように手に抱えるような感じです。ですから、日曜日にサンデー・タイムズを購入するだけで情報量が足りてしまう。一週間分のテレビ欄も付いています。おそらく、これしか読んでいない人もいるのではないかという気がします。内容は、平日版と比べると、ややリラックスして記事が書かれている感じがします。消費欲を書き立てるような宣伝記事も多く、イギリスの比較的富裕な階層の余暇のあり方を考察する上で、貴重な資料です。1950年代と60年代のイギリスの日常生活を思い浮かべる時に、サンデー・タイムズの記事を読むだけでも当時の時代が見えてくると思います。たとえば、エスプレッソ・コーヒーがイギリスに入ってくるのが1950年代です。「エスプレッソ」とキーワードを入れて検索するだけで、海外文化がどのようにイギリスに入ってくるかが分かります。その意味では文化史的な価値が高い資料です。

 

そうなると、広告が役に立ちそうですね。

広告が僕にとっては面白いです。

 

サンデー・タイムズはイギリスの日常生活を歴史的に再現するために不可欠な資料

 

広告は新聞の中ではオマケという扱いを受けがちですが、むしろ広告が面白いということですね。
文化研究において、日常生活がどのように送られていたのか注目する研究が増えてきています。何を食べていたのか、何を飲んでいたのか、どういう風に散歩していたのか、どこに旅行に出かけたのかということを実証的に検証する研究が増えていますし、これらの日常生活のことがらをテーマとするカンファレンスも多くなっています。このあたり日本ではまだあまり研究されていません。その点、サンデー・タイムズは広告の量が多いので、かつてのイギリスの日常生活を歴史的に再現するために不可欠な資料だと言えます。

 

サンデー・タイムズのマガジンを通して、同時代の雰囲気が視覚的に伝わってきます

 

とても興味深いですね。サンデー・タイムズと言えば、1962年に始まったサンデー・タイムズのカラー版 (注) 補遺(マガジン)が有名です。写真を多用し、洗練されたレイアウトで、最新の文化情報を提供しました。一昨年(2012年)は創刊50周年を迎え、ロンドンの美術館で回顧展が開催されました。20世紀英国文化の研究者として、先生はサンデー・タイムズのマガジンをどのように評価されますか。

(注)データベースでは白黒です。

 

このマガジン、すごく好きです。同時代の雰囲気が視覚的に伝わってきます。サーチ・ギャラリー(Saatchi Gallery)という美術館での展覧会、僕も見てきました。イギリス人も好きみたいで、展覧会も賑わっていました。写真は同時代の雰囲気を正確に視覚的に伝えることができるメディアです。マガジンが始まった60年代はビジュアルな文化が価値を持ち始めた頃で、消費がもの凄く賑わっていた時代です。戦後復興の結果、今までは特権的な階層しか享受できなかったファッションが社会の広範な階層によって消費されるようになったのが60年代です。若者もファッションを購入するようになりました。音楽ではビートルズが出てきますし、映画ではジェームズ・ボンドの007シリーズやスタイリッシュなものが出てきました。60年代を振り返ってみる時、サンデー・タイムズのマガジンのレイアウトを通して、当時の視覚的な配置が皮膚感覚で使わってくると思います。

1962年2月4日のマガジン創刊号の最初の記事
1962年2月4日のマガジン創刊号の最初の記事

 

写真を見て時代を捉える感覚を養う上でもサンデー・タイムズは格好のメディア

 

創刊以来50年以上に亘り続いているということは、それだけこれを受容する社会的な階層が存在しているということですね。
そうですね。それから、イギリスに1年間住んで感じるのは、イギリス人はビジュアル性が強いですね。日本人のビジュアル性が弱いとは言いませんが、イギリス人は日本人が考えている以上に視覚を重視している国民だと感じます。写真のようなメディアを文学研究者や文化研究者はあまり注目してこなかったと思いますが、イギリスでは写真が文学・文化研究でよく使われます。それに、サンデー・タイムズで使われた写真がテレビで使われることもあります。写真をきちんと見て時代を捉えるという感覚を養うことが日本の文学研究者や文化研究者にとって大きな意味を持っていると考えています。その点でもサンデー・タイムズは格好のメディアです。


20世紀の文化的な資料としてリスナーほど重要な雑誌はありません

 

なるほど。サンデー・タイムズのマガジンがもつ文学研究や文化研究にとっての重要性がよく分かりました。それでは、次にリスナーに移りたいと思います。リスナーはかつてBBCが発行した教養雑誌ですが、20世紀に発行された様々な雑誌の中で、どのような独自性を持っていたのでしょうか。
とても良い質問だと思います。というのも、リスナーは一見、数多くの雑誌の一つのように思われるかも知れませんが、20世紀の文化的な資料としてこれほど重要な雑誌はありません。それはリスナーを発行していたのが、BBCだからです。BBCは1920年代にラジオ番組制作会社としてスタートし、1930年代にはテレビ番組制作にも携わります。リスナーは、BBCのラジオ番組やテレビ番組の内容を雑誌としてまとめたものです。当時の視聴覚資料を文字媒体として記録したものと捉えてよいと思います。マスメディアには同時代の知識人が登場します。彼らが登場した番組の関連資料が掲載されていることが、リスナーを限りなく重要な資料にしていると言ってよいと思います。モダニズムの華やかな作家をはじめとして多数の作家が番組に登場しているので、イギリス文学の研究者にとってもの凄く貴重な雑誌です。でも、それだけではありません。書評欄も載っています。これはあまり指摘されないことかも知れません。書評欄もとても面白くて、当時の文化的ネットワークを理解するためにも、重要な意味を持っています。


リスナーは文化的ネットワークのオルタナティブな可能性を見せてくれる

 

当時の文化的なネットワークというのは具体的にはどんなことですか。
書評はサンデー・タイムズにもタイムズにもTLS(タイムズ・リテラリー・サプルメント)にも掲載されているので、書評誌としてのリスナーはあまり注目されていないような気がします。しかし、僕が今研究しているグレアム・グリーンの初期の作品の書評がリスナーに出ています。しかも、書評を書いているのは比較的重要な作家です。同時代に発言力を持っていた作家がグレアム・グリーンの作品を論じている。こうしてみると、今まで見えなかった人と人の繋がりが見えて、これが僕には非常に面白いです。リスナーを使えば、メインストリームからは見えないところで人が繋がっていたのを発見できる喜びが得られると思います。文化的ネットワークのオルタナティブな可能性をも見せてくれる不思議な雑誌です。

 

リスナーの書評欄
リスナーの書評欄

 

BBCはイギリスの教育そのもの

 

リスナーを発行していたBBCは、外から見ると分かりにくい面を持っていると思います。リスナーを理解するには、回り道をしてイギリスにおいてBBCがどのような存在であるのかを理解することが必要ではないかと思います。BBCはイギリス文化の中でどんな存在なのでしょうか。
こちらに住んでいると実感しますが、BBCはイギリスの教育そのものです。大袈裟に言えば、イギリスの中産階級の教育を担っているのがBBCです。BBCは1920年代からイギリス国民全体の教育の底上げを大きな目的として掲げてきました。イギリスの中産階級、それから労働者階級も含めてもよいと思いますが、彼らの文化の形がBBCによって支えられていると言ってもよいと思います。BBCはテレビもラジオもチャンネルが複数あります。日本ではNHKはチャンネルが2つです。全国放送7つのうち2です。イギリスではテレビのチャンネルが主要なものに限っても6つありますが、そのうちの3つがBBCです(BBC1、BBC2、BBC4)。NHKとは全く異なります。しかも国民の圧倒的な支持を得ています。BBCが教化してくれる、知恵を与えてくれるという共通認識が国民のあいだで共有されているため、民放より力が強いのです。


イギリス人がBBCについて持っている共通知識が、日本人がNHKについて持っている共有知識と比較して、遥かに大きいということですね。
そうですね。加えて信頼度が高いです。知識人もBBCを視聴しますが、普通の市民もBBCの番組内容に価値を置いています。BBCを国民が支えている。このあたりが日本と違うところだと思います。


時代の本音を知るためには大衆紙まで見なければなりません

 

それほど国民から信頼され、生活に根付いているBBCの番組を記録したリスナーという雑誌は、イギリス文化を知る上でも非常に貴重な資料ということになりますね。イギリス文化の中でのリスナーの位置づけがよく分かりました。それでは、次にデイリー・メールに移りたいと思います。デイリー・メールはしばしば大衆紙の元祖と呼ばれます。タイムズのような高級紙を導入する価値は認めても、大衆紙が本当に研究に必要なのか疑問に思う図書館員の方もいると思います。デイリー・メールのような大衆紙の研究資料としての価値はどこにあると思いますか。
良い質問だと思います。文化的な価値をどこに求めるかという問題に関わります。確かに英語の教材としてイギリスの新聞を扱う場合は、デイリー・メールは必要ないのかも知れません。タイムズやサンデー・タイムズの方が、文体が洗練されているので、教育的な価値があると思います。おそらく、図書館員の方がタイムズなどの方を優先されるとすれば、その判断の根拠はその辺りにあるのでしょう。しかし、研究者の立場からは、高級紙だけを読んでいても時代のことはよく分からない。ある種の時代の本音を知るためには、むしろ大衆紙まで見なければならない。大衆紙にはセンセーショナルな性格がありますが、逆に言うと時代の大きな感情の流れをそこに見ることができるのです。このような感情の流れは大衆紙が作り出す面もあると同時に、大衆が持っていた気持ちを大衆紙が体現している面もあります。大衆紙に書いてあることをそのまま鵜呑みにすることは危険です。でも、距離を置いて時代を眺めるには、大衆紙とタイムズのような高級紙をセットにして、どのように時代をマッピングすることができるか考える機会を学生や大学院生に与えるのは、彼らにとってよいエクササイズだと思います。ですから、僕自身はデイリー・メールのような大衆紙はどんどんデータベース化して欲しいと思っています。先ほどお話したミドルブラウに関して言えば、タイムズは高級紙なのでハイブラウです。ミドルブラウからロウブラウを知るためにはデイリー・メールが必要になってきます。ですからデイリー・メールは有難い新聞です。


「時代の本音」というのは面白い表現ですね。
口では政治的に正しいことは言えますよ。でも、文化を理解するためには、時代の本音の部分まで知っておく必要があります。


タイムズの合わせ鏡としてデイリー・メールを読んでみたい

 

デイリー・メールは20世紀の初め、新聞に革命を起こし、イギリス最大の新聞に登り詰めます。その後、ファシズムにコミットした時期もありました。20世紀後半には、サッチャーを支持し、新しい保守層や女性の読者を獲得し、再び部数が伸びます。一説によれば、イギリスの新聞の中で唯一、女性の読者の方が男性読者より多い新聞であるとも言われています。先生は、どの時期のデイリー・メールに興味を覚えますか。理由とともにお聞かせください。
僕自身は1930年代から40年代のデイリー・メールに関心があります。先ほども述べました通り、この時代のイギリス文化を対象とした単著を構想しているからです。この頃、グレアム・グリーンがファシズムやコミュニズムといった大きな政治の問題に強い関心を持ちます。グリーン自身は1920年代にタイムズの記者でした。ですから彼が普段読む新聞はタイムズだったはずです。けれども、僕はタイムズの合わせ鏡としてデイリー・メールを読んでみたいと思っています。すなわち、ハイブラウなタイムズとミドルブラウからロウブラウで、ある意味では大衆的で、ある意味では野蛮なデイリー・メールを重ねながら、グレアム・グリーンという作家をマッピングしてみたいと考えています。


イギリス人に研究で引けを取らない環境がデータベースを導入することで実現されます

 

タイムズとデイリー・メールを相互に補完し合いながら研究資料に役立てていきたいということですね。それでは、個々の新聞からは離れて、歴史的な新聞や雑誌を研究に利用することに関して、少し一般的な視点から質問させていただきたいと思います。これまで、日本や外国の文学研究、文化研究において、歴史的な新聞や雑誌はどのような扱いを受けてきましたか。
おそらく、新聞と雑誌では事情が異なると思います。雑誌は作家が寄稿しているケースが多いので、これまでの文学研究でも活用されてきたと思います。たとえば、ヴィクトリア朝の作家は最初、雑誌に寄稿します。雑誌に小説を発表するのです。ですから、文学研究者にとっては雑誌を見ることが研究の一環になっていると思います。このように雑誌はかなり研究が進んでいるのですが、ただし、雑誌研究は日本人が弱い領域でもあります。ロンドンでは雑誌を研究するセミナーがあります。残念ながらリスナーを研究するセミナーはまだありませんが。大英図書館のような大きな機関へ行けば、雑誌を創刊号から通して読むことができるので、研究も進みます。これに対して日本では雑誌を通しで所蔵している機関が少ないため、自然と雑誌の研究から遠ざかってしまうという現象があります。イギリスに比べて圧倒的なハンディがあるわけです。その意味でデータベースは非常に有難いです。日本人もイギリス人に研究で引けを取らない環境がデータベースを導入することで実現されます。これに対して、私の知る限り、20世紀の文学研究者で新聞と文学をきちんと繋げて研究している人はいないような気がします。新聞と文学をどう結び付けるのかということは、今後研究者が真剣に考えるべきテーマです。イギリスの作家もしばしば新聞に寄稿しています。グレアム・グリーンも、タイムズの記事を書くことで文体を磨いています。ジャーナリズムに関与した作家を対象にする場合は、たとえば文体研究のレベルで新聞と文学を繋げることはできると思います。


文体に注目すれば、新聞と文学を繋げる生産的な議論ができるでしょう

 

ジャーナリズムの文体が文学作品の文体に影響を与えるような事例はあるのでしょうか。
難しいですね。大きなテーマです。丸谷才一さんは、グレアム・グリーンを「文体を持たない作家」と形容しています。こうした個性がない文体、ニュートラルな文体は、僕の認識では当時の映画の技法を模倣したところから生まれたものです。でも同時に、彼の文体はジャーナリスティックなシンプルな文体でもあるのですね。若い頃タイムズの記事を書いた経験から学んだものでしょう。ですから、グレアム・グリーンの文体はジャーナリズムの角度から見てゆくことができると思います。その意味で、文体に注目することで、新聞と文学を連関させて論じることは不可能ではないと思います。むしろ、文体に注目した方が、個別の第二次大戦のような歴史的事例を取り上げて、新聞と文学をブリッジさせるよりも生産的な議論ができると思います。


今文学研究は、多くの雑誌を同時に検索し、その結果を判断するというスタイルへシフトしています

 

歴史的な新聞や雑誌がフルテキストデータベース化されることは、文学研究や文化研究にどのような影響を与えると思いますか。これまでの研究者の方へのインタビューでは、特定の言葉の最初の出現例など、テキストにおける言葉の出現に注目するケースが多かったように思われます。先生はどのようにお考えになりますか。
その点は僕自身も関心があります。最初の出現例も重要ですが、どの時代に集中して出現しているか、ということを見ていく上でデータベースはとても役に立ちます。言葉は意味が変わるため、最初の出現だけでなく、変化のプロセスを知ることが大切です。言葉の変遷を視覚的に追跡できることがデータベースの大きな意義だと思います。実は今、文学研究の質が変わってきています。高度な検索をかけることが質のいい研究をするための第一条件になっていると考えています。イギリスの研究者は、リサーチの質が高いです。一つ一つの雑誌を手に取ってみるスタイルではなく、多くの雑誌を同時に検索にかけて、結果をどう判断するか、というスタイルへシフトしています。デジタル化が今後研究をどのように変えるのかというよりは、すでに研究の質が変わってきています。


日本人は新聞や雑誌をリサーチする力を養う必要があります

 

イギリス人の研究者の研究の質が高いというのは、具体的にはどういうことでしょうか。
タイムズやリスナーという個別の雑誌で検索をかけるのではなく、多くの雑誌をデータベースのリソースとして持っていてそれらを同時に検索して、検索結果を結びつけながら独自の時代観を提示するというのがイギリス人の研究スタイルです。それについていけないと、同じ土俵では戦えません。日本の研究者もその点は薄々分かっているので、そのような歴史資料のデータベースを駆使してイギリス人と戦うのではなくて、別の土俵で戦う、たとえば理論的に文学にアプローチする方が日本では主流です。イギリス人の持っているリサーチ力においてハンディを負っているのが分かっているからです。僕も含めて日本人は新聞や雑誌のリサーチ力を教わっていないのです。みな、それぞれ独自の手法でやっていると思います。日本人はこのトレーニングを受ける必要があります。新聞を研究資料として扱うことは、新聞に書かれていることを相対化することです。相対化のトレーニング、歴史化のトレーニングと言ってもいいですが、こういうトレーニングが日本では積まれていません。それが、日本では雑誌や新聞に対する需要がイギリスほど高くないことに繋がっていると思います。


根本的な問題ですね。
外国文化の輸入のあり方にも関わる大きな問題です。

 


視点を増やし、時代の見方を変えるツールとして、Gale Primary Sources はとても便利です

 

イギリス人の研究者が多くの雑誌を対象にして独自の時代観を提示するというお話がありましたが、横断検索ですね。横断検索によっていかに検索の質を高めていくのかということだと思います。多数の新聞や雑誌を横断検索できるようになることは、研究にとってどのような意味があるとお考えですか。
一つでも多くの雑誌や新聞が使える環境になった方がよいのですね。雑誌や新聞が一つ増えれば、視点も一つ増えます。時代の見方が変わってきます。その点では、新聞や雑誌の横断検索プラットフォーム、Gale Primary Sources はとても便利なツールだと感じました。有難いツールだと思います。


記事の背後にある考え方を含め、学生には新聞や雑誌の読み解き方を教えてみたい

 

ありがとうございます。学生や大学院生の教育資料として考えた場合、歴史的な新聞や雑誌はどのような価値があるとお考えですか。
特定のトピックを選んで、複数の新聞でどのように書かれているのか比較するトレーニングを学生に対してやってみたいと思っています。僕自身、英語の授業を持っていますが、新聞記事を読ませるだけでなく、記事の背後にある考え方を含めて、新聞や雑誌の記事の読み解き方、新聞や雑誌によって異なる立場に立って書かれていることを教えてみたいと思っています。学部生向けにもできますし、大学院生は必須ではないかと思います。日本の今後のイギリス研究を底上げしてゆくためにも、歴史新聞や雑誌の扱い方を教える場がもっと必要です。


イギリスでは新聞、雑誌のデータベースはどのくらい教育資料として使われているのでしょうか。
おそらく、大学院の修士課程、博士課程では、歴史研究する人は指導教官からきちんと指導を受けていると思います。分野によっても異なりますが、歴史的資料の使い方は、指導教官との個別面談のレベルでもコースでも組み込まれているので、どこかの段階でトレーニングは受けているはずです。


学生や大学院生に歴史的な新聞や雑誌の使い方を教えることが必要だとのお話だったと思いますが、日本の教育の現場に戻られてから、授業で行なうことについて何かアイディアをお持ちですか。
特定の事件やイベントについてそれぞれの新聞がどのように対応したのか、ということは授業でやってみたいと思います。たとえば、サッチャーの葬儀をイギリス国民がどう受け止めたかは、新聞によって報道が全然違います。ダイアナの死でもいいでしょう。どのように新聞の立場が異なるのかを比較させる授業があれば面白いと思います。

 


ダイアナの死を報じる各紙

 

今日はまるで講義を受けているような感じで、面白かったです。
そうですか!ありがとうございます。

 

先生の現在の研究テーマであるグレアム・グリーンやメディアに対して、どのようにして関心を持たれるようになったのですか。
僕は大学の学部時代、社会学を勉強していました。それが大きなバックグラウンドになっていると思います。作家も社会の中で生きている人間ですから、作家が生きている時代のことをもっと知りたいですし、作家が時代の問題にどう立ち向かっていたのかということに大きな関心を持っています。そのための新聞や雑誌が大事です。今、新聞や雑誌はフリーペーパー化していますが、それで価値が下がっているということではなく、個々の新聞が個性を発揮できる状況になっていると思います。現代のメディアの変遷にも関心を持っているため、新聞や雑誌の新しいデータベースの情報をいただくと楽しくてしかたありません(笑)。


今日は長時間に亘り、ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。

 


※このインタビューを行なうに際して、紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。

伊佐佳子さん(紀伊國屋書店)、佐藤元状先生、原真裕さん(紀伊國屋書店)
伊佐佳子さん(紀伊國屋書店)、佐藤元状先生、原真裕さん(紀伊國屋書店)

ゲストのプロフィール

佐藤元状(さとう・もとのり)

東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程(2006年単位取得退学)博士(学術)

・専門

イギリスのモダニズム文学、ポストコロニアル文学、イギリス映画

・著書・論文

  • 『グレアム・グリーン ある映画的人生』 慶應義塾大学出版会、2018年
  • 『ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴの映像学-イギリス映画と社会的リアリズムの系譜学』 ミネルヴァ書房、2012年
  • 「ポピュラー・カルチャーとイングリッシュネスの政治学-グレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』と後期モダニズムの困難」(『転回するモダン-イギリス戦間期の文化と文学』 研究社、2008年)

ほか多数

現在(2021年)慶應義塾大学法学部教授