中川麻子先生に、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースやデイリーメイルについてお話を伺いました

 

  

 

 大妻女子大学 家政学部被服学科  准教授

研究のネタになりそうな面白い内容が たくさん転がっています

実施日:2016年6月21日 
ゲスト:中川 麻子 先生
機 関:大妻女子大学 
協 力:紀伊國屋書店 
トピック: 
Illustrated London News Historical Archive
Punch Historical Archive
Daily Mail Historical Archive

 

本題に入る前に、中川先生のゼミ生と高島屋の史料館とのコラボレーションのニュースが先日出ていましたね。

 高島屋が明治時代から使っている図案などを所蔵している大阪の高島屋史料館に数年前から調査に入っています。昨年は学生向けの博物館実習に呼ばれて、学生を指導していましたが、史料館の荷物を開けて撮影していたところ、明治45年頃に高島屋が製作した着物の図案がたくさん出てきました。それを見た学生が「かわいい」「素敵」と言うので、高島屋史料館の人が商品化しましょうということになりました。今の学生は着物離れしていますが、古典柄を着たい、他の人とは違うものを着たいという気持ちはあるので、昔の良さを残しつつ、現代風にアレンジして、商品化に漕ぎ着けました。

 

すでに商品化されているのですか。

9月に販売が始まります。5月に史料館の方が本学に見えて、学生に史料を見せて下さり、6月7日にプレス内覧会、9月には店頭に並ぶという、急激な展開です。

 

こちらの大学の学生とのコラボという形での商品化ですか。

高島屋と大妻女子大学との産学連携として、大妻女子大学の学生が選んだということが商品に明記されます。

 

楽しみですね。

400種類ぐらいある生地から20柄ほど選んだのですが、実際にどのような形で店頭に並ぶか、今からドキドキしています。

 

衣服、織物関係は、産学連携の余地が沢山ありそうですね。

そうですね。今回の高島屋との共同企画に際して、どうして着物を着ないのか、学生にアンケートを行ないました。着たいという気持ちは持っているのですが、値段が高いからなど、着たくても着られない事情があるようです。どうすれば着たいのか訊くと、インスタグラムに載るかどうか、ということが大きいようです。私たちが知らないところに着物を着たいというニーズが隠れていることが分かって、高島屋の人も驚いていました。

 

それでは本題に入らせていただきます。先生のこれまでの研究を簡単にご紹介ください。

最初、19世紀のヴィクトリア朝の手芸に興味を持ち、修士論文ではイギリスのガンジーセーターの模様をテーマにしました。その後、農村のスモック(農民着)の刺繍に魅せられ、19世紀以降のイギリスの芸術刺繍について調べましたが、さらに、同時代の日本の染織品についても興味が沸いてきました。当時の日本は外国との交流が盛んだったため、日本と外国の影響関係を知りたいとも思いました。今は明治時代の染織品を中心に研究しています。

 

その際、どのような文献資料をお使いになったのですか。

よく使ったのは、イラストレイテッド・ロンドン・ニュース(Illustrated London News, 以下ILN)とパンチ(Punch)です。

 

資料は、どこでご覧になったのですか。

イギリスのレディング大学です。この大学に初めて行ったとき、学内の博物館にスモックが大量に収蔵されているのを見て、図書館に陣取って(笑)、毎日のように、ILNやパンチを閲覧していました。

 

イラストレイテッド・ロンドン・ニュース(ILN)から入るというのが、自然なことでした

 

刺繍やスモックなどを研究テーマに掲げる場合、ILNを手に取るというのはオーソドックスなやり方なのでしょうか。

ILNは、ヴィクトリア朝の定期刊行物としては一番有名ですし、ILNから入るというのが、誰かから言われたわけではありませんが、私にとってはやはり自然なことでした。イギリス通史の本を読むときも、ILNは「絵入りロンドンニュース」として必ず紹介されます。学生時代にILNに掲載されている図版をテキストの中で見ていましたが、それでも有名な図版だけに過ぎません。イギリスに行って、大判の原本に当たり、全篇を通して見ることができたのは、得がたい経験でした。

 

どういう風にご覧になったのですか。最初からページを繰ってという感じですか。

ILNに関しては、オーソドックスなやり方ですが、万博が載っている記事から見ました。カントリー・ライフ(Country Life)という雑誌も見ました。日本では見たことがない雑誌で、イギリスで初めて知りました。この雑誌はページをとにかく繰って見ていました。最初のページから最後のページまで一通り全ページを見て、その中で図版と見出し語を頼りに面白そうな記事を読んでゆくということをしていました。

 

美化や脚色なく、同時代の社会的な位置づけやイメージを伝えてくれるというのが、ILNなどの図版資料の最大の価値です

 

収穫は大きかったですか。

大きかったです。私自身、スモックは現物(モノ)から入りました。最初にモノを見て、これは何だろうという疑問から始まり、どんな形や色をしたモノで、いつ頃実用化されていたものか、ということも理解していましたが、スモックというモノが社会的にどのような位置づけにあるのか、分かっていませんでした。それを教えてくれたのがILNやカントリー・ライフという定期刊行物です。ILNを見れば、実際にスモックを着用している人の姿や当時どのように紹介されていたのかが分かります。20世紀のスモックの研究には、花婿が着たとか、村によって刺繍が異なっていたとか、過去を美化したロマン主義が付きまとう傾向がありますが、19世紀の同時代の図版を見ると、小父さんが野良着として着ていて、スモックを実際に着ていた人々や彼らのパーソナリティがストレートに見えてきます。美化や脚色なく、同時代の社会的な位置づけやイメージを伝えてくれるというのが、ILNなどの図版資料の最大の価値だと思っています。

 

ILNにスモックの図版はありましたか。

ありました。スモックを着て万博に来ている人たちが描かれていたり、大勢の人の中にカントリー・フロックを着ている農民が描かれていたりします。万博開催期間中、1シリングで入場できる日が設けられていて、その日は庶民でも入場できましたが、そんな日に来場している人々を紹介する図版もあります。普段は膨らんだスカートを穿いている上流階級やミドルクラスの女性が多いのに、その日は庶民がちょっと着飾っている様子が分かる図版です。

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“Five Shilling Days and One Shilling Days” Illustrated London News, July 19, 1851 キャプションに ”Agriculturists at the Exhibition” とある

《関連エッセイ:水晶宮と1851年ロンドン万博

 

先生はスモックがどういうものか、色も形も分かっていらっしゃるので、キャプションに ”smock” という言葉がなくても、図版を見てこれはスモックだ、とお分かりになるのでしょう。私自身はILNのデータベース(Illustrated London News Historical Archive)の、図版のキャプションを検索範囲に指定する機能を使って、”smock” で検索してみたのですが、ヒットしませんでした。

確か、田舎の人々が万博会場に来場しているのを紹介する記事の中で、その人たちが着ているものとして描かれた図版があったように記憶しています。私が見るところ、ILNは、中流階級向けの刊行物ではありますが、同時代の社会や風俗のシーンを特定の政治的な傾向やバイアスを通すことなく、そのまま写し取っています。このあたりは研究者によっては意見が分かれるところかも知れませんが、私はそんな印象を持っています。スモックがどういう風に取り上げられているのかというのが、私にとって資料を使う上での一つの指標になりました。ファッショナブルなものでは全くなく、そもそも農民着です。誰がどんな時に着ていたのかということが、ILNなどの当時の資料を見れば、そのまま写真のように見えてきます。

 

ILNはバイアスがかかっていないというのは、以前に東京大学の勝田俊輔先生にインタビューさせていただいたときに、アイルランド人の描き方をILNとパンチで比較すると、パンチはアイルランド人を見下し、モンスターのように描いているのに対して、ILNにはそういう視線がないという話と通じます。スモックにしても、パンチが描いていたら、取り上げ方がおそらくILNとは異なるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 

ILNとパンチの相違は当時のイギリス人の建前と本音の相違です

 

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“The Pig and the Peasant” Punch, September 19, 1863


その通りです。私自身、パンチは日本で見ましたが、凄い描きかたです。パンチに出てくるスモックは、ちょっと、お馬鹿な農民が着るという感じで描かれていて、着ている人も間が抜けている感じで、より田舎者感が滲み出てくるような描き方です。ILN とパンチの相違は当時のイギリス人の建前と本音の相違と理解すればよいと思います。表向きは 偏見なく受け止めながら、本音では馬鹿にするという態度です。そのような感覚を喚起するものがスモックだったとすれば、当時のイギリス人の階級意識が透けて見えてくるという意味では、スモックは重要なモノです。

ただ、パンチについて補足すれば、同じパンチでも、時代の経過とともに、スモックの描かれ方が変わってゆきます。後の時代になると、いい意味での、イギリスの古き良きハートであるというイメージをスモックが担うようになり、古き良きイギリスを擬人化したものがスモック・フロックを着るように描かれるようになります。ベテランという言葉にスモック・フロックが着せられたりしています。やや馬鹿にされた感じで描かれていたのが、イギリスの古きよきハートというイメージを担うという形に、スモックの描かれ方が変わってゆくのを見ると、スモックに対する社会的な目が変わったことが分かります。

 

特に印象に残っているILNの挿絵や記事がありますか。

今までスモックの話をしてきたのですから、スモック関連の記事を挙げるべきでしょうが、あえて博覧会の記事を挙げましょう。日本の展示の様子を取り上げているとても有名なシーンがあります。私は今、明治期をテーマにしているため、この時代に日本の染織品をどのように出品していたのか、ということに興味があります。日本の出品記録は日本の資料を調べれば分かりますが、外国での評価を調べるには外国の資料に当たる必要があります。どの品目が賞を取ったのかという記録も残っていますが、イギリスの記者や人々が何に興味を持ったか、ということを知りたいのであれば、やはりILNに当たるのが一番です。絹製品について、外国製に比べると発色も柄もよくないが絹や手仕事の品質が非常によい、繊細な刺繍がとても美しいという挿絵入りの記事がありますが、当時の西洋人の日本の絹製品に対する評価が分かる記事で、何度も論文で使いました。日本の製品に対する評価が変わってゆく初期の頃のものです。

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“The Japanese Court in the International Exhibition” Illustrated London News, September 20, 1862

 

それは第何回の万国博覧会ですか。

1862年の万博だったと思います。

 

刀を差している侍たちが会場を見学している有名な挿絵がありますが、1862年の万博のときですね。

そうです。あの万博を紹介したILNには、図版はありませんが文章だけで日本を紹介している記事があります。1862年の万博は、日本が正式に出展したのではなく、総領事として日本に駐在していたオールコックが私的に集めたものを出品したに過ぎません。オールコックが選んだものは、彼の日記から分かります。外国人であるオールコックが日本で買い漁ったものが、イギリスでどのような評価を受けたのか、その評価を日本人がどのように受けとけたのかということを、ILNの記事やオールコックの日記など、いろいろな視点から見ると、一つのモノがいろいろな方向から見えてきます。日本が本格的に万博に出品するのはウィーン万博ですが、1862年の万博は日本の万博出品の方向性を決定付けたという意義を持っているのではないかと思います。

 

オールコックの興味やILNの記事に見える当時のイギリス人の評価を通して、西洋人の興味、関心を日本人が内面化してゆくことになるわけですね。

当時の日本人にとっては、そもそも万国博覧会自体がどんなものかも、何を出品すべきか、何が受けるかも分からず、手を拱いていたと思います。オールコックは、自分が集めたもの-兜とか漆器が多いのですが-の中で、自分は専門家ではないけれど、染織品を興味深く見ていると、日記の中で言っています。繊細な織や柔らかな薄い絹など、繊細なものに興味を持っていて、大名の衣装も持っていったようです。ILNの記事を見ても、絹の品質がよいとか、手仕事が美しいという書き方をしていて、オールコックの視点と重なります。日本人の方は、外国のものは豪華なタペストリーや、高度な機織技術を用いた作品が多く、日本のものと全然違う、外国のものと比べると、日本のものは見劣りするということに気付いてしまったのです。外国のものは柔らかな絹織物ではなく、発色に優れ、図案も豪華であり、広幅のものが好まれている。それを肌で感じて帰って、これではいけないと対策を練り、万全を期して、今度はウィーン万国博覧会に出品し、ある程度は評価されるものの、やはりダメな部分も見えて、という切ないほどの試行錯誤が明治20年ぐらいまで続きます。当時の外国の評価は外国の資料を見なければ分かりません。

 

当時の史実に対する様々な視点を知るためにも、ILNとパンチの双方を読むことが必要だと思います

 

ILNやパンチのほかにも、ヴィクトリア朝には様々な挿絵入り雑誌が刊行されていましたが、その中で、なぜこの2誌がこれだけ脚光を浴びるのでしょうか。やはり、創刊が早かった、ということでしょうか。

早かったのと、刊行期間が長かったのが大きいのではないでしょうか。刊行期間が長いために資料としては安定している気がします。一つの物事の変化を、同じメディアが長期間に亘り、見続けるというのは稀です。それにILNとパンチは対照的な雑誌で、比較がしやすいです。また、データを取り易い。何よりも絵が面白い。それに言葉です。ILNは端正な英語が使われているのに対して、パンチは捻りが効きすぎて、何度も読み返さないと皮肉の意味が読み取れません。同じイギリス人がこのように異なる言葉を使ったメディアを享受していたことは面白い現象です。当時の史実に対する様々な視点を知るためにも、ILNとパンチの双方を読むことが必要だと思います。

 

同じことは新聞についても言えると思います。タイムズのような高級紙もあれば、デイリー・メール(Daily Mail)のような大衆紙もあります。今回のトライアルでは、デイリー・メールのデータベース(Daily Mail Historical Archive)をかなりお使いになったようですね。

 “art needlework” という言葉で検索したら、デイリー・メールの記事がたくさん出てきて、面白くて、ずっと見ていました(笑)。

 

私も needlework(刺繍)で検索してみましたが、ヒットする記事数はタイムズ(The Times)よりデイリー・メールの方が多いですね。発行期間はタイムズの方が、100年以上長いですが、デイリー・メールの方が多いというのは、驚きでした。新聞の中でも一番多いです。

刺繍は女性がやっていたので、デイリー・メールのように女性の視点で書かれた新聞に多くの記事が出てくるのでしょう。女性が就職することが稀な時代にあって、刺繍がどのように紹介され、芸術刺繍がどのような媒体を通して一般化していったのか、ということにも興味がありましたので、デイリー・メールの記事をみて、刺繍の記事の多さに驚きました。

 

デイリー・メールが女性の視点で書かれているとおっしゃいましたが、やはりそうなのですね。

女性受けする記事が書かれた、ということは言えると思います。イギリスの歴史に関する教科書を見ても、デイリー・メールはそのような扱いを受けています。

 

デイリー・メールは下層中流階級の人々にも手が届く生活スタイルの手本を提供する媒体として機能しました

 

デイリー・メールは、教科書の中で、女性受けのする内容が書かれた新聞であると、説明されているわけですか。

そうです。デイリー・メールは家庭向けの記事が多いので、当時の女性の生活や関心がILNやパンチよりも見えてきます。中流階級より下の人々が中流階級を目指して、自分たちの生活をよりよくしたい場合に、生活スタイルの見本を提供したのがデイリー・メールです。お金があり、自分たちの生活スタイルを持っていた上流階級にはそのような見本は不要ですが、下層中流階級の人々には生活スタイルの見本がありません。博覧会に足を運び、通信販売で手に入れたカタログを見て、モデルを探したのです。デイリー・メールは下層中流階級の人々にも手が届く生活スタイルの手本を提供する媒体として機能しました。

 

以前インタビューさせていただいた津田塾大学の菅靖子先生が、下層中流階級向けに家具をパッケージにして手頃な値段で住宅を提供する ”Ideal Home Exhibition(理想の住まい展)” がデイリー・メールの主催で毎年開催されていたという話をされていましたが、それと繋がりますね。

そうですね。18世紀以前は貴族の嗜みだった刺繍が、時代が下るにつれ、中流階級や労働者階級の人々もするようになります。余暇が増えたことの他に、自分たちを飾りたい、差別化したい欲望が背景にあります。セーターに編み込みをしたり、スモックに刺繍をしたりして、アイデンティティを表す衣服が現れてきます。19世紀中頃に、ウィリアム・モリスが中世の刺繍を復活させることで、その頃はあまりパッとしないものだった刺繍を甦らせます。しかし、モリスはその後、刺繍に飽きてしまい、妻や娘たちにやらせます。その妻や娘が手掛けた刺繍が意外と受けて普及し、芸術刺繍になってゆきます。モリスがやっていた頃は、すべて中世風に製作しなければならないと理想論が前面に出ていたのが、モリスが抜け、女性の中に広まってゆく過程で、大衆化し、通信販売もなされます。分かり易く、綺麗で、手早く作れるものを作りたいと、キットが大売れします。デイリー・メールは通信販売やパッケージ販売や広告を通して分かり易い言葉を使って、家庭人たちに伝えた媒体だったと思います。

 

デイリー・メールは、当時としてもマーケティングが非常に斬新だったのでしょう。部数が飛躍的に伸びたのも、斬新なマーケティングに因るところが大きいと思います。初めて100万部を超えた新聞で、大衆紙のパイオニアと呼ばれています。

読み易いというのが大きかったのではないでしょうか。情報が溢れた時代だったと思います。一気にメディアが増えて、商品が増えていくなか、テレビがあるわけではなく、メディアからうける情報に飢えていたはずで、その中でデイリー・メールはバランスよく、欲しい情報をまとめて伝えたメディアだったという印象を持っています。

 

普通の国民の考えや興味を知りたければ、デイリー・メールを参照するのが一番です

 

デイリー・メールをタイムズと比較すると、大衆紙というイメージで語られがちですが、デイリー・メールの別の価値が見えてくるような気がします。

私は服飾文化史やデザイン史が専門ですが、学生時代は生活文化史を勉強していました。生活文化の視点から見ると、タイムズは事実、史実の集まりというイメージが強く、政治的な問題についての国家の判断を知るにはタイムズを参照するのがよいわけですが、普通の国民の考えや興味を知りたければ、デイリー・メールを参照するのが一番です。こちらの方がずっと面白いですね。それに、研究のネタになりそうな面白い内容がたくさん転がっています。

 

面白いですね。もっとそういう観点から使っていただきたいと思っています。

実はこれまでデイリー・メールをじっくり見る機会がなくて、本の中で紹介されているのは知っていましたが、今回トライアルで使ってみて、”needlework” という言葉がこれほど頻繁に出てくるのにも驚きましたし、当時の趣味が大衆化していたこともよく分かりました。言葉の検索をするだけでも、面白いと思いました。

 

特に面白い記事はありましたか。

1960年代の広告ですが、”art needlework” という言葉 が使われています。芸術刺繍は20世紀になると過去の ものというイメージで語られたと考えていましたが、必ずし もそうではなく、広告の中の言葉として定着するほど一般 化していて、20世紀半ばまで使われていたということが驚 きでした。この頃の芸術刺繍は、王立刺繍学院が創立され た1870年代の刺繍とは全く異なるものだっただろうと思い ます。この時代の芸術刺繍はどんなものだろうか、という ことから、この時代に対する興味が湧いてきて、何をもって 芸術刺繍と言っているのか、芸術刺繍の変遷を辿って みたくなりました。

Daily Mail, February 6, 1965

 


デイリー・メールの記事を見て、王立刺繍学院の社会的な位置づけや評判について、
くっきりとイメージがつかめたような気がします

 

データベースをお使いになって、これまでの先入観の修正を迫られたわけですね。

もう一つ、1898年の記事です。イギリスで初めて作られた英国王立刺繍学院という職業学校があり、プリンセスの名前を掲げて高級感を押し出すわけですが、この学校の卒業式の記事です。どんな人が表彰されて卒業したのかという名前が出ていますが、英国王立刺繍学院が卒業式を取り上げるべき学校とみなされていたことが分かります。現存する学校ですが、今では職業訓練校的色彩は弱まっているので、今の姿とは異なる姿がこの記事から見えてきます。日本で言えば、宝塚歌劇団が卒業式をした、という感じでしょうか。少なくとも、当時の人々が誰でも知っている学校だったということが分かるという意味でも、面白い記事です。王室紹介欄では、英国王立刺繍学校を訪問したというような記事も出てきます。私自身、英国王立刺繍学校の存在は知っていましたが、イメージがまだよくつかめていませんでしたが、デイリー・メールの記事を見て、社会的な位置づけや評判について、くっきりとイメージがつかめたような気がします。大きな収穫でした。

Daily Mail, July 25, 1898

 


デイリー・メールは同時代の生活風俗を知る歴史資料としても使える

 

今のお話を聞くと、デイリー・メールの記事は社会史の記事として使えるということが分かります。新聞というと、どうしても時事報道というイメージが先行しがちです。新聞は重大事件や海外の出来事を伝える媒体、という固定観念がありますが、デイリー・メールは同時代の生活風俗を知る歴史資料としても使えるということが分かりました。デイリー・メール=新聞という固定観念を取り払った方がよいかも知れません。

 

デイリー・メールは、普通の人々の生活をうまく写してくれる家庭欄です

 

情報量も多いですし、記事も多岐にわたっています。ILNよりも関心の幅が広い気がします。ILNはILNで、国を挙げてのイベントを大きく取り上げたりして、公式カタログのようなイメージがありますが、デイリー・メールは今の新聞で言う、家庭欄に近い感じです。19世紀末から20世紀前半の普通の人々の生活をうまく写してくれている家庭欄を拡大した新聞と言ってよいと思います。

 

「生活」というのがデイリー・メールを語る上でのキーワードのような気がします。デイリー・メールには生活に関する情報が多いということですね。

そうですね。

 

刺繍が大衆レベルにまで広がったというお話でしたが、Galeのデータベースで ”needlework“ で検索したところ、デイリー・メール以外でも、いろいろな記事が見つかりました。第一次世界大戦の時代の女性に関する資料を集めた Women, War and Societyアーカイブズ・アンバウンド所収)というデータベースには、”Needlework for All” という、前線の兵士のために防寒用のアンダーウエアーを作って支援しよう、国を挙げて戦争しているから女性も銃後で頑張ろうと、女性に呼びかけている記事など、戦時中の刺繍を取り上げた記事が多数ありました。

 

“Needlework For All, No. 57. Comforts For Soldiers. Mrs. L.C. Thompson’s Instructions In Needlework For All. Benevolent Organisations” Women, War and Society, 1914-1918


剣を持たずに針を持て、みたいなことなのでしょうね。イギリスは、刺繍や編み物や刺繍をほどこしたレースというものもありますが、こういうものの歴史が非常に長い国なので、誇りを持ってやっているはずです。

 

ところで、この種の電子リソースを授業でお使いになることはありますか。

ありません。使ってみたいとは思います。被服学科ではデイリー・メールがよいと思いました。ILNよりも面白いかも知れません。学生は英語を読むことを敬遠しがちです。でも、当時のカタログやコルセット、女性のファッションが分かるよ、と言うと、興味を持ってくれます。デイリー・メールは見たがるのではないでしょうか。

 

データベースの魅力は、同時並行的にいろいろな記事を見ることができることと、検索をかける言葉に敏感になれることです

 

今回、トライアルをなさって、どういう感想をお持ちになりましたか。

多くの思いがけない記事に出会うことができたのが大きな収穫でした。原本を見る面白さはもちろんありますが、1冊読むのは大変です。それに紙媒体では異なる資料を比較することが難しいという問題があります。私自身、ILNを読んでいた時期とパンチを読んでいた時期は異なっていたので、後から読んで相違に気付くことがたくさんありました。今回デイリー・メールのデータベースを使って ”needlework” で検索してたくさんの記事がヒットしたとか、デイリー・メールと同じ時代のILNにはどんな記事が載っているか、興味が弱まらないうちに、その場ですぐ確認することができました。複数のデータベースを同時並行的に使って調べることができたのは、次の研究にも繋がるという意味でも大きな収穫でした。今まで利用していた資料に別の可能性を感じることもできました。データベースの魅力は、同時並行的にいろいろな記事を見ることができることと、検索をかける言葉に敏感になれることだと、つくづく感じました。

 

※このインタビューを行なうに際して、株式会社紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。

関連資料

ゲストのプロフィール

中川麻子(なかがわ・あさこ)

最終学歴:

共立女子大学大学院/博士/家政学研究科/人間生活学専攻/修了 筑波大学大学院/博士/芸術学研究科/芸術学専攻/単位取得満期退

略歴:

大妻女子大学家政学部被服学科准教授

著著・論文:

  • 『公共駐車場におけるサインデザイン(計画編)わかりやすく親しみやすい駐車場をめざして』(一般財団法人つくば都市交通センター, 2014年)
  • (共著)『平成27年度春期企画展 糸と光と風景と 刺繍を通してみる近代』(北区飛鳥山博物館, 2016年)
  • 「歴史の扉7 ファッションの時代」指昭博編著『はじめて学ぶイギリスの歴史と文化』(ミネルヴァ書房, 2012年)
  • 「大妻女子大学博物館所蔵の手芸裁縫作品調査報告(1)」『人間生活文化研究』26巻(2015年)
  • (共著)「デザインとジェンダー -近代の女性における〈手作り〉の意味に関する考察-」関東学院大学人間環境研究所『所報』(2015年)
  • (共著)「明治時代の女子教育における刺繍について」『筑波学院大学紀要』(2013年)
  • 「明治時代後期における「繍畫」の誕生と発展」『デザイン学研究特集号 日本のファッションデザイン:世界の視点、日本の視点』(2012年)
  • 「明治時代後期における万国・内国勧業博覧会出品美術染織の時代的変遷」『デザイン学研究』(2012年)
  • 「明治期万国博覧会出品染織品の変遷に関する一考察」『デザイン学研究』(2012年)
  • 「ヴィクトリア時代における「ベルリン刺繍」と「芸術刺繍」について」『服飾文化学会誌』(2006年)
  • 「19世紀英国における庶民の服飾についての一考察-スモック(smock)を中心に」『服飾美学』(2002年)
  • 「ヴィクトリア時代における労働者の衣装とその記号的役割-衣服と記号性に関する研究〔4〕」『芸術学研究』(1999年)
  • 「スモックの刺繍紋様の役割について-衣服と記号性に関する研究〔2〕」『Vi』(1998年)

ほか多数